『臨床喫茶学』・・倶坐喫茶してレトロ・モダンな鎮めの生き方・死に方を問答する・・1

臨床喫茶学が大事にすること・・1;“ みんながXXと言っている”ではなく“私は如何したい、如何する”の会話

 喫茶・茶の湯は、トドノツマリ、生きていくために必要な飲食をともにする文化です。

 つまりは、生きるために必要なカロリー成分と体が機能するために必要な栄養成分を水分ともども摂取するための人間的な営みと言えます。

 その飲食のスタイルはいろいろあって良いのです。

 喫茶去、且坐喫茶と言われる有名な言葉にあるように、禅僧が雲水とまずは坐って茶でも一杯から問答が始まル用に臨床喫茶学では共同飲食をしながらのコミュニケーションを始めるのです。

 倶坐喫茶;倶に坐して喫茶するのです。

 IT社会が進んで、ソーシャルメディヤのTwitter,Facebook,You-Tubeなどのネットを介するコミュニケーション文化がドンドン日常茶飯となっていますから、「倶に坐す」文化の意味も大きく変わりつつあります。

 そうした社会構造の変化に伴なうコミュニケーション法が現実になって、一人一人が生き方を考える必要に迫られています。

 生き方を考えるということは、死に方を考えることにもなります。

 今日の高齢化社会にあっては、生き方・死に方は、若い世代の人たちにとっても日頃から考えていなければならない問題となりました。

 例えば、脳死したときに臓器を提供するか、臓器移植を受けるかどうか。

 今や遺伝子・再生医療を受けるかどうかも生き方・死に方と深くかかわってきます。

 そして、認知症などの障害を患った時には如何様な生き方・死に方をするかは切実な現実問題です。

 
 東日本大震災の発生によって、“人の命とは”が何時のことか判らない他人事ではすまされない自分の問題だと実感することになったと思います。

 そうした話題を臨床喫茶学では、倶坐喫茶の場で自分流に考える生き方・死に方を問答するのです。

 “みんなが言っている”の会話・問答から“自分は如何したい、如何する”の会話、つまり、自分の考え・意見を一人称で語る赤裸々、直心の会話を大事する倶坐喫茶の集いとするのです。

 現代はソーシャルメディヤやウエブ情報社会などのITネットによる情報管理型社会を向かえて、実名で自分の意見をシッカリと持って言えるようにすることが大切な時代となっています。