『臨床喫茶学』・・倶坐喫茶してレトロ・モダンな鎮めの生き方・死に方を問答する・・2

臨床喫茶学が大事にすること・・2;「煽り」から「鎮め」思考の幸福を求めよう!


 臨床喫茶学が求めるのは、茶の湯のレトロ・モダンのキーたる鎮めの文化;ワビ・サビにあります。

 「吾れ、唯、足を知る」の世界、つまり、麁相の心です。

 本年のはじめの福嶋麻衣子著書で指摘している若者の幸福感に通じる満足度です(「日本の若者は不幸じゃない」ソフトバンク新書)。

 この世は、今だ、1991年に弾けたバブル期までの右肩上がりの経済的な満足度の願望から抜け出すことの出来ない人たちによる、はかない夢幻から目覚めることの出来ない「煽り」が行なわれています。

 東日本大震災からの復興にも、「煽り」がハビコッテいるのが残念です。


 私は東日本を一国二制度の特区として、福嶋麻衣子や三十歳以下のような人たちに任せたら成熟の時代に入った地球レベルの「鎮め」の社会が期待できると思っています。

 「煽り」の結果が、既に紹介しました黒沢清映画「トウキョウソナタ」で映かれた“父親”像に象徴されると知る必要があります。

 “父親”は煽り思考で“一生懸命”に働いた結果が“勘違いの幸福”を求めていたと目覚める必要があるのです。

 福嶋麻衣子が指摘する若者は、閉鎖的、固定的なお仲間内のコミュニティーにコモルことなく、クラスター的集いの人との関係を求めているとしていますが、まさに、的を得ていると思います。

 ソーシャルメディアtwitter,facebook、you-tubeなど)やウエブ情報に慣れ親しむ開放型のクラスター的やコミュニティー的社会型のコミュニケーションが盛んとなっているのは納得です。

 Facebookが実名を基本としていますが、日本のSNS実名主義ではありません。

 しかし、IT社会は個人が情報を発信できる社会ですから、実名による自分の考えや行動をするが求められ、必要な姿勢だと思います。 

 私も、mixiよりも実名社会のfacebookを重用、愛用するようにしています。

 クラスター型社会では、情報管理社会としての実名主義による責任ある日常茶飯が大切だ!

 私の意見、意志がはっきりしている時ははっきりと、曖昧なときは曖昧な余地を残しての発言をする生き方です。

 実名で私はの意思表示・意見を言うことが、他の人の意見や立場を聴き、違いを尊重することになります。

 この世の中のことは、こうでなければならないとの金科玉条なことはあまりないのです。

 異質、多様に興味津々な生き方・死に方を求めて、「鎮め」の「私の意志」の発するを喜びとしよう!!