『臨床喫茶学クリニック』・・ケガレ・ケ・ハレの生活律喫茶・茶の湯・・9

  Λ(ラムダ)喫茶・茶の湯・・7・・神仙・仙薬による無縁社会のケガレ・ケ・ハレの生活律

 ワタシ流グローカル社会の喫茶・茶の湯・・仙境の茶・・私の独楽茶・


 私は、小宇宙的な空間で仙境の境地をさまよう独楽(ドクラク)な茶を飲むのが好きです。

独楽(コマ)のように回ることが出来て、橘暁覧のように独吟することが出来る独楽独吟の喫茶・茶の湯

 井伊直弼が「茶湯一会集」で述べているような、茶会の後に「余剰残心」と「独坐観念」とは少し意味は異なります。
 

 私の独楽の茶は、ただ、茶を好きに点てて飲むのですが、自分流の茶碗、茶、お菓子にはこだわりを持った創意工夫を大切とするをキーとするのです。

 まずは、茶碗で言えば、自分の好きに選び、その茶碗が何故に私の手元にあるかの由来に思いを馳せます。

 祖母が日常茶飯に愛用していた茶碗。

 親友の陶芸家が私の意見を参考にして作ってくれた試作品や商品として売るには問題があっても、上がりの良さには捨てがたい魅力があり、自分で削ったりなどの工夫をしたりした茶碗。

 思いもかけずに自分の手元に迷い込んだ茶碗。

 一見、用の美は考えられていないとは見えるも意外な細かい配慮がなされている茶碗。

 使えば使うほど、その表情は変わり、親しみをマスマス覚える茶碗。

 そして、国内外の人たちの誰もが容易に買えるような低コストでグローカル性ある茶碗の創意工夫。


抹茶では、茶碗と同様に多くの人達に親しんでもらいたいと低価額化の可能性に務めています。

 お菓子については、南蛮菓子と健康を意識した現代版“南蛮菓子”の創製に努力をしているのです。

 私が最も重んじるのは、利休による「守破」を越えて「離」の境地に至って、今や、自分流の今日的な時代に適なうべく、国内外の人たちが直感的に近親感を覚えるようなグローカル性ある茶碗を目指した創意工夫を第一とした茶碗制作を皆さんに協力、努力してもらっています。
 

 私の独楽の茶は、井伊直弼の言う「独坐観念」の世界に入りながら、大宇宙のダークエネルギーに思いを馳せて、人間らしい「無縁のダークエネルギー」が躍動するこの世で生きている自分を俯瞰するように「余剰残心」な思いをめぐらして存在の情熱にしたるのです。

 リルケの「悲歌、ドイノエレジー」で詠われている“存在の情熱に滅びるであろう”、アメリカの詩人・ロングへローが詠う“Funeral marches to the grave!"を口ずさみたくなる仙境の境地にありながら、茶碗などの由来や行く末に思いを馳せながらも、人類の未来に適うような創造をせんとの「正直で慎み深い」「我欲す」情熱と意欲に燃えるのです。

 茶碗を手に包みながら、ふと、庭に眼を移せば、日頃の何気ない生活にあっての橘暁覧の「独楽吟」(「橘暁覧全歌集」岩波書店)の世界に「楽しさ」、「喜び」、「幸せ」を感ずる閑寂の心で「色即是空・空即是色」が実感できるが私にとっての素晴らしい一瞬なのです。


 信天翁喫茶 入門 益荒男が茶の道」(山中直樹著、アマゾン、Dr.BEAUT・ソフィーリッチなどのネットで販売中。 アップルのアップストア(App Store)の電子書籍としても販売しています)