『臨床喫茶学クリニック』・・ケガレ・ケ・ハレの生活律喫茶・茶の湯・・6

  Λ(ラムダ)喫茶・茶の湯・・4・・神仙・仙薬による無縁社会のケガレ・ケ・ハレの生活律

 ワタシ流日本社会の喫茶・茶の湯誌・・4・・抹茶法の登場!


 1070年に始まる中世の喫茶文化は、その後の日本の茶の湯文化となった抹茶法が伝わり、発展したことです。

 喫茶・茶の湯の正史的な抹茶法の伝来は、栄西が平安末期に二度目の宋から帰国時に伝えた抹茶法と茶の種子を持ち帰ったことに始まると言えます。

 しかし、茶の種子は当時では、夏を経ては発芽する可能性は無理だったようで、栄西が持ち帰った茶種子による茶木が広まったとの事実には無理があるのです。

 我が国は1052年に末法の世に入ると考えられていたために、末法の世を脱するために後冷泉天皇や関白の藤原頼道らの護持僧・成尋が中国五大山の文殊菩薩の遺跡を参拝しようと正式な許可を得ることなく1072年に密かに出国したのですが、帰国することはありませんでした。

 しかし、宋での日記「参天台五台山記」に宋代の団茶から抹茶法が開始された当時の茶との出会いを記録しています。

 室町期に盛んとなった一服一銭の茶のような銭一文の茶売りなどについても記しており、当時の宋での団茶法から抹茶法までの変化の時代の各地や時期の多様な喫茶の様相を知ることが出来ます。

 その成尋の帰国した弟子たちによって、既に、抹茶法や種子は伝わっていた可能性が高いのです。

 今日でも変わらないと思いますが、本当の歴史上の貢献者より、加上の理論と言れる、栄西による伝来説はご都合による“歴史”である可能性が高いのだと思います。

 栄西が抹茶法の伝来者と伝わるのは、歴史上、悩み深き鎌倉将軍・実朝の二日酔いが茶一盞の献上による改善と我が国最初の喫茶の効用書「喫茶養生記」を献じたことが有名で喫茶文化を普及させたからだとも考えられます。

 栄西の本当の狙いは、京の都にあっては、鎮護仏教の天台宗真言宗の勢力が強くて、禅宗を広めるには何かと抵抗が強かったために、時の新勢力である鎌倉の武家政権に注目してもらうことによる新規開拓、普及の活路を見出さんと、そのインパクトとして今日的に言えば茶葉のカフェインによる頭痛改善効果を将軍様に実感してもらう事によって禅宗の存在を高めようとしたにあったと言えます。

 言ってみれば、朝廷・貴族と鎮護仏教に支配された平安朝支配から鎌倉幕府の武士勢力による自活的な禅宗への共感に活路を見出そうとしたのです。

 それ故に、今日でも鎌倉には禅宗中心の名刹名跡を拝する事ができます。

 我が国では、平安末期に始まる中世文化が、その後の日本化文化が発展した時代でもあるのです。

 宋代の抹茶法は、ご本家では明代になると廃れて出汁茶を飲む煎茶法が中心となっていくのですが、我が国の正史では抹茶法が中心の歴史となっています。

 禅宗は中国伝来文化だといえますが、平安中期の市聖・空也の念仏仏教に始まる日本化が始まったのですが、その後の法然親鸞日蓮、一遍らによる極楽浄土への日本的仏教の萌芽して庶衆の仏教となって発展しました。

 一方の中国伝来の新仏教の禅宗は、道元叡尊、蘭溪道隆、無学租元、南浦紹明鎌倉時代武家中心の仏教とした発展となったのです。

 禅院での喫茶は薬用と生活規範としての修行僧の清規としての茶礼が禅と茶の結びつきを強くしました。

 また、曹洞宗開祖の道元は「永平清規」にあるように修行僧の清規としての茶礼のみならず、食事調理の重要さを食を司る典座の職責に位置づけた「典座教訓」として記し、その食事をいただく修行僧の心得を「赴粥飯法」を記して仏教修行としての基本としたのです。

 食・茶礼と仏法の平等一如を道元は仏教修行そのものとしました。

 
 武士社会では、北条(金沢)実時以来の今日、金沢文庫として残る古文書には金沢貞顕(1255〜1333年)による喫茶関係の資料があり、この時期の唐物茶道具の様相を知ることが出来ます。

 禅院での茶礼では、その後の武士層による唐物中心の会所の茶の原形となり、栄西開祖の建仁寺での「四つ頭の茶礼」にその様式を覗う事が出来るのです。

 一方で、抹茶法は禅院での茶礼から、次第に拡がって、既に取上げました市聖・空也由来の「オオブク茶」の如くの供茶、貧者・飢餓・病人などの弱者への施茶・儲茶が行なわれようにもなりました。

 叡尊は、北条実時に鎌倉に招聘されて貴賤男女に授戒を行い幕府に貢献したのですが、行基のように慈善事業や民衆への施茶も行い、西大寺の大茶盛の始まりと言われる供茶を僧衆に呈したりした様式は、その後の会所の茶の様式の原形ともなったのです。

 鎌倉末期になると寺社での茶礼、供茶の喫茶は、次第に門前内、門前外への広がりが始まり、成尋が宋で経験した銭一文の茶売りに通じる門前での一服一銭の立ち売り茶も始まりました。

 この一服一銭の茶は、正史的には東寺南大門前の「東寺百合文書」を始まりとしますが、一服一銭を行なったのは本来の神人ではない従属的な低い身分の散所神人が担っていたのです。


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