『臨床喫茶学クリニック』・・ケガレ・ケ・ハレの生活律喫茶・茶の湯・・3

  Λ(ラムダ)喫茶・茶の湯・・1・・神仙・仙薬による無縁社会のケガレ・ケ・ハレの生活律

 ワタシ流日本社会の喫茶・茶の湯誌・・1


 私は、喫茶・茶の湯の正史は、谷端昭夫著『チャート茶道史』(淡交社)を基本にしています。

 近年は神津朝夫著『千利休の「わび」とはなにか』、『茶の湯の歴史』(両著とも角川選書)などのように従来の喫茶・茶の湯の正史とは異なった内容の本が出版されており嬉しい限りです。

 また、網野善彦による『日本社会の歴史 上下』(岩波新書)、『増補 無縁・公界・楽」』(平凡社)や数々の中世史書に学んだり、伊藤正敏著『神社勢力の中世 無縁・有縁・移民』、『無縁所の中世』(両著ともちくま新書)、むのたけじ著『戦争絶滅へ、人間復活へ』、『希望は絶望のど真ん中に』(両著とも岩波新書)、加藤陽子著『NHKさかのぼり日本史 昭和 止められなかった戦争』(NHK出版)を読んだりすると、まだまだ、日本社会の“正史”に問題があると判ります。

 喫茶誌では、守屋毅編『茶の文化 その総合的研究 第一部、第二部』(淡交社)、守屋毅著『喫茶の文明史』(淡交社)、丹生谷哲一著『日本中世の身分と社会』(塙書房)、橋本朝生土井洋一校注『狂言記』(岩波書店)、山田新市著『日本喫茶世界の成立』(ラ・テール出版局)、中村洋一郎著『番茶と日本人』(吉川弘文館)、金明培著『韓国の茶道文化』、松下智著『中国の茶』(河原書店)、篠田正治著『河原者ノススメ』(幻戯書房)などによれば、茶の湯中心のハイカルチャーとは異なった民衆レベルの生活に根ざした喫茶・茶の湯誌が、今だ、十分判っているとは言えないのは明らかです。

 フロイス『日本史』(中公文庫)、ロドリーゲスの『日本教会史 上下』(岩波書店)、ケンペルの『日本誌 上下』(「江戸参府紀行日記」)(霞ヶ関出版)などにもあるような民衆生活に根ざした喫茶・茶の湯・食の生活誌を掘り下げる必要があること間違いなしです。

 ハイカルチャー的のみならず、ローカルチャー的と呼びたい沙弥・空也の如くのすべての老若男女に分け隔てのないような喫茶・茶の湯・食や人間関係の多様な世界があって、私はレトロ・モダンな神仙・仙薬をキーとした『無縁のΛ(ラムダ)喫茶・茶の湯』と名づけた文化世界を確立したいと考えています。

 愚かで醜く貧しくても直心で、大胆にして繊細、単純にして余白、間、移ろいの輝きあるケガレ・ケ・ハレの生活律に美のある閑雅世界です。


 私は、今や、すべての人類が平和に過すための最大の混乱・紛争・戦争の起因となっているのは、「国家権力」、「国境」だと位置づけています。

 そして、国家権力、国境を越えた人類、人びとの自由が保証された健康で文化的な生活をするためには、有縁の関係よりも無縁の関係を大切、優先すべきなのです。

 国家、民族を超えて、人間関係はITによる無縁なソーシャルネットやウエブ社会が、経済でのグローバル化とともに進んでいます。

 世界の国々は“国家権力”による閉鎖的な“国家”の“命”のもとに権力を行使しますが、満州事変での謀略の如くに諸悪の根源的な弊害とエゴを発揮して人の命を奪って来ました。

 つまり、「万国公法」の時代は終わらせなければならないのです。

 今や、グローバルに広がった人間関係は、国家、民族、地縁・血縁の有縁の閉鎖性を内包する世界を超えた無縁の繋がりにこそがキーとなります。

 その上で、異文化との交流があってこそのグローカルな無縁ー有縁が共鳴ー交差する柔らかい人間関係の繋がりに文化・文明が生まれるのだと思います。

 その人間関係は、神仙・仙薬の喫茶・茶の湯文化を育んだ我が国の中世社会の「出入りが自由」の無縁勢力社会の歴史に内包されているではありませんか。

 そして、その発展は今年のノーベル物理学物理学賞に輝いた宇宙のダークエネルギーのように今日を支配する国家権力支配の人間社会とは逆の“反重力・反引力”の巨大なエネルギー世界を目指して“超新星”のように膨張して輝く必要があるのです。

 アインシュタインが想定したΛ(ラムダ)世界です。

 無縁のフリーなネット社会は、2010年12月のチェニジアの「アラブの春」に始まり、半世紀近くの恐怖・専制・強権国家権力を従来のような革命的で軍事的なパワーによることなく転換の連鎖を可能にしたと判ります。

 そして、次には、先進国にあっても、ニューヨークのウォール街に発生したように、貧困、格差、不平等社会は、無縁のネット力によって変換されることも現実味を帯びてきました。

 我が国も対岸の火事とは言っておられません。

 そうした時代を迎えて、私は、ケガレ・ケ・ハレの生活律の文化として神仙・仙薬を介した無縁のΛ(ラムダ)喫茶・茶の湯により一人一人が平和な健康で文化的な生活が出来るような社会を築きたいとの思いです。


 既に、今までに、ワタシ流の日本の喫茶・茶の湯誌を取上げてきました。

 ここで、中世の喫茶・茶の湯誌を始めるに当たり、オサライしますと次のようになります。

 我が国の喫茶の歴史は、唐代・陸羽による「茶経」が書かれる(760年ごろ)より以前の八世紀初めには、行基聖武天皇時代の施茶・引茶の歴史が始まっていたのだと思います。

 行基百済からの渡来人の家系で、当時、既に朝鮮半島では喫茶の歴史は始まっていましたから我が国へ喫茶文化は伝わっていた可能性は十分あるのです。

 私は、モット朝鮮半島との文化交流誌の研究が盛んになれば、日本社会へのローカルチャー的な喫茶文化が明らかになると期待しています。

 そして、八世紀後半から九世紀になると遣唐使の永忠、最澄空海による茶文化の導入と嵯峨天皇らによる中国文化伝来による中国趣味の喫茶が楽しまれました。

 その後、喫茶文化は正史的には廃れたとありますが、遣唐使廃止(894年)後も、十世紀になっても、宇多天皇のみならず、菅原道真(845〜903年)は京都でのみならず排流された大宰府での貧乏生活にもかかわらず喫茶をしています(『菅家文草 菅家後集』(岩波書店))。

 つまり、既に、大宰府周辺や北九州には茶木が成育していたと言えるのです。


 天皇のみならず民衆、貧者、差別された人たち、疫病・病人を含めた衆庶の救い・救済に務めた市聖と敬われる生涯を沙弥で通した空也(903〜972年)は社会的階層を越えて、薬用、栄養的な施茶に務めたのです。

 ワタシ流に言えば、神仙・仙薬による無縁のΛ(ラムダ)喫茶の創始者です。

 今日の六波羅蜜寺で正月三日間に振舞われる小梅と結び昆布の入った「皇服茶」として続いている『オブクチャ』は御仏供茶由来だと考えられるのです。

 菅原道真、沙弥・空也に通じた慶滋保胤(933以後〜1002年)は「池亭記」、「日本往生極楽記」を記して、三河薬王寺の茶園にかかわったと伝わり、日常は仮の姿として官に仕え、京の六条の荒廃した人家のないところに池亭を築いて、自分の本来の姿を求めて脱俗の空間に身を置いて、「心、山中に住するが如し」とロドリーゲスの記した「市中の山居」と呼んだ草庵世界の創始者だったのです。

 また、「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」と詠った藤原道長(966〜1028年)は病に茶を喫したと日記に記しています(御堂関日記)。

 1052年から始まるとされる末法の時代を迎える今日的な不安の時代に藤原道長は、浄土教に極楽浄土を願い無量寿院(後の法成寺)を建立、別荘だった宇治殿には平等院として西方極楽浄土の世界が築かれています。


 そして、前回の『臨床喫茶学』・・ケガレ・ケ・ハレの生活律喫茶・茶の湯・・2の“無縁のΛ(ラムダ)喫茶・茶の湯・・2”に取上げましたように、1070年(延久二年二月二十日)に祇園社が鴨川西岸より東側の東山に広大な朝廷が直接立ち入ることの出来ない「不入権」が認められた京の都の第一号となる無縁所を獲得して中世の時代が始まりました。

 日本社会が今日の日本文化の創成に最も輝いた時代、平安末期から安土桃山時代無縁社会が躍動、伸展、展開した中世です。

 ワタシ流の無縁のΛ(ラムダ)喫茶・茶の湯が神仙・仙薬を要として創生・進展した時代でもあります。 


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