『臨床喫茶学』・・ケガレ・ケ・ハレの生活律喫茶・茶の湯・・2

  無縁のΛ(ラムダ)喫茶・茶の湯・・2

 中世無縁社会のケガレ・ケ・ハレの生活律・・2・・中世は神社勢力が輝いた時代


 喫茶・茶の湯文化が最も発展した中世は、神社勢力の無縁社会が日本社会の中心だったのです。

 朝廷、公家社会が支配してきた律令制度は乱れ、摂関政治や荘園制度による社会的混乱が起こっていたのです。

 既に紹介しましたように、菅原道真の詩・「寒草十首」に詠われているような律令制による班田、租税などを逃れて自由を求めた遍歴者、無縁者や賤視された人、犯罪人たちが神社勢力による無縁・公界に逃げ込んだのです。

 菅原道真らが遣唐使を廃止した大きな理由は、官制の僧侶による留学、文化交流や交易よりは、既に民間勢力による交流によって、ワザワザ、公的派遣としての遣唐使は、あまり意味が無くなっていたからなのです。

 神社勢力も荘園を確保して、僧侶の世界では、「学僧」は身分の高い人たちの出身者からなり、無縁勢力の担い手となったのは半僧半俗の「行人」と一定の寺には留まらない一番身分が低かった「聖」からなっていたのです。

 遣唐使には、当然のことながら、学僧がなっていたのです。

 称名念仏を称えた平安時代中期の市聖・空也鎌倉時代時宗の実質的な開祖となった一遍上人は、遊行僧・聖であったと考えられます。


 伊藤正敏(「神社勢力の中世ー無縁・有縁・移民」ちくま新書)が、比叡山延暦寺の京都末寺である祇園社が、鴨川西岸より東側、東山に広大な京の都の無縁所第一号として朝廷が直接入ることが出来ない法的な根拠を持った「不入権」を獲得した1070年(延久2年2月20日)を中世の始まりとするほどの大きな時代的転換となったのです。

 1086年に白川法皇が荘園を持った超法規的な権力を発揮した院政を開始したのですが、支配地域は鴨川西岸より西側の都や近畿地方の地域に限られており、日本社会全体を統治するほどの中央集権的な勢力・権力とは言えなかったのです。

 また、武家権力の始まりで勅命を無視して福原遷都を行なった平清盛鎌倉幕府南北朝室町幕府といえども神社勢力に対して、直接に国家権力の象徴とも言える警察権たる「不入検断権」を行使できないほどに国家鎮護の宗教の代表たる比叡山天台宗高野山真言宗などには、国内各地に広大な不入検断権が及ばない無縁所を認めていたのです。

 遊行僧・空也による称名念仏に始まる仏教の日本化は、鎌倉時代になると遊行僧・一遍によって一代限りの称名・踊り念仏としてその精神は継承され(弟子たちが時宗を起こした)、その浄土思想は、法然による浄土宗、親鸞による浄土真宗、漁民の子として生まれた日蓮による日蓮宗が、時の権力に依存しない民衆の宗教として発展しました。

 中国からの伝来仏教では、禅宗として栄西による臨済宗道元による曹洞宗が、奈良時代・顔真以来の律宗真言律宗として叡尊によって発展したのですが、上述の浄土系仏教とは異なり、鎮護国家宗教が朝廷・公家勢力とは別の新興勢力たる鎌倉幕府室町幕府勢力に近づき、その後の武家勢力に浸透したのです。

 遣唐使廃止後は、多くの天台宗禅宗律宗の僧が、大陸へ大挙して渡り、帰国しなかった僧たちも多く、中国通の天台宗禅宗律宗と結びついた海商たちが登場して盛んに航路・交易を発展させたのです(「僧侶と海商たちの東シナ海」日本中世史選書4、榎本渉著、講談社)。

 宋、元、明の時代、新羅以来の朝鮮半島との交易は、僧、海商、倭寇も参加した東シナ海の航路開拓によって、発展をしたのです。

 博多、堺、瀬戸内海、越前・小浜などの港が発展したのです。

 こうした港湾での交易は、無縁所や無縁所由来の商業地域で、無縁所や無縁所出身の海商、金融業者、職人たちが担ったのです。

 千宗易・利休もそうした堺の海商商人でした。

 堺で茶の湯を発展させた商人たちが、禅宗日蓮宗時宗石山寺浄土真宗系と深い関係にあったのは、国内外の金融も含めた商工業的交易発展のための結びつきが深かったからなのです。

 信長、秀吉、家康が中央集権国家を築くためには、中世・無縁所勢力の不入検断権を奪うことなしには日本社会を支配することは出来なかったのです。


 中世から幕末に及ぶ日本社会や喫茶・茶の湯についての庶民・民衆レベルも含めた著述は、西欧のフロイス、ロドリーゲスやケンペル、シーボルトなどがよく知られていますが、文禄・慶長の役壬辰倭乱)当時の朝鮮王朝の義兵大将・趙慶男が、倭軍の捕虜を訊問して聴取したことについて記している「乱中雑録」で中世の茶室や僧侶が紹介されています。

 当時の日本人が異国で語った率直、赤裸々な日本社会を知ることが出来ると思います。

 ここでは、僧侶について生き生きと無縁社会を担った行人の姿を語っており、面白いではありませんか。

 「僧侶は帯刀をせず医術をもって生計とするか、あるいは商業に携わり、占ト術に従事するとか、あるいは将倭の屋敷で茶室の掃除をすることもあるが、これら僧侶はみな帯妻者であり酒肉を食べる」(『韓国の茶道文化』金明培著より)。

 日本人が外国人に語った話であれ、外国人による目線は千宗易・利休の先祖を含む行人、散所・散在神人らのエリート層ではない姿をみるようです。

 今も、外国人が指摘、注目する日本の姿の方が面白い!

  
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