『臨床喫茶学』・・ケガレ・ケ・ハレの生活律喫茶・茶の湯・・1

 無縁のΛ喫茶・茶の湯・・1

 中世無縁社会のケガレ・ケ・ハレの生活律・・1・・無縁社会の躍動は絶望から始まる!


 無縁社会をΛ(ラムダ)としたのは、天才・アインシュタインが宇宙に反重力のエネルギー世界を内包した宇宙定数Λに由来した、今や宇宙が無限に膨張するダークエネルギーの解明へと進む大宇宙の深遠さと畏敬・神秘性も込めてΛとしたのです。

 ダークエネルギー超新星の観察によって宇宙の研究が進んでいますが、光、波動を越えたスピードで膨張をすれば人類による観察レベルを超えることになり、そうしたすべてのエネルギーを含んでダークなエネルギーとなるのではと思えてきます。

 そのダークエネルギーが、「気」となり、ケガレのエネルギーとなるのだと私には感じられてならないのです。

 つまりは、私のケガレの文化は、宇宙のダークエネルギーの摂理に基くと言いたいのです。


 日本社会で躍動したエネルギーを発した中世無縁社会の「境内都市」は、人間的な無限の可能性を秘め、貧しい者、極悪人、反権力者であれ、逃げ込んだナンビトであっても、まずは、時の権力に対して今日で言う警察権なる侵入して逮捕する権利を認めない「検断不入権」で命の保障をした、入るのも出るのも自由な社会があったのです。

 中世無縁社会の「境内都市」は、比叡山延暦寺高野山金剛峯寺石清水八幡宮、住吉社などの神社勢力の自治自由都市なのです。

 中世の神社勢力は、朝廷や幕府より経済規模は明らかに大きかったのです。

 境内都市では、宗教のベールに隠れて発展した商工民たちが次第にその姿を現して、室町幕府の時代では自治都市・自治村落として無数に発展したのです。

 堺や博多は巨大化した代表だったのです。

 取上げたいと思いますのが、目からウロコとなる網野善彦伊藤正敏らの指摘する無縁・公界・楽の社会で、寺社内でも身分が低い行人、神人たちを中心とする勢力なのです。

 中世時代の金融、商業のみならず、今日で言う鉄砲などの軍需産業にあっての主役でもあった職能集団だったのです。

 律令制度以来の天皇家や神仏社の直属民として、経済や生活を支えた供御人、神人、寄人は、身分の低かった半俗・半僧・半神の職能民からなる職能集団由来で神社勢力による境内都市と深い関係にありました。

 その後の我が国の金融も含めた経済社会を発展させた人たちの多くが無縁社会の出身者だったといえます。

 供御人は荘園と同様に御厨として天皇直領とする天皇家の私経済に務め、年貢・公事を免除された免田を与えられ、自由通行権が保障されていたのです。

 また、五畿内の摂津、河内、和泉、山城、大和と近江の贄人たちが海産物貢進を行なっていたのですが、魚貝などの海産物を貢進する有力な海民たちは、海航ともども自由通行の特権を保障された商人としも活躍できたのです。


 千宗易が利休居士号を勅許されて関白秀吉による禁中献茶の茶会で茶を点じましたが、秀吉によって1591年には自刃切腹させられています。

 宗易・利休は、既に取上げましたように、和泉佐野の塩魚座を支配しており、天皇家に食材・食事を供する網曳御厨供御人であり、春日神人だったと言うのです(網野善彦)。

 つまりは、宗易・利休は納屋衆として和泉・堺の無縁・公界社会の境内自由都市を守らなければならない使命を担い、茶の湯にあっても、権力には支配されない自らの存在の自由をかけた自由な世界を生命線としていたと私は思います。

 宗易・利休の黒茶碗や極小の茶室の世界は極小の宇宙空間から発する、宇宙におけるアインシュタインΛダークエネルギーのように、重力に逆らっても無限に膨張するエネルギーを内包させていたに相違有りません。

 阿弥陀号を持つ千阿弥を先祖にもつ幼名・田中与四郎は千利休居士として、自由都市・無縁の境内都市の崩壊を容認できなかったのは間違いなしと切腹の命を潔しと自らが創生したダークエネルギーの無限の命の膨張に託したのだが、既に私が唱えた自刃の理由なのです。


 中世初期に始まった無縁の境内都市の不入検断権を奪い壊滅させ、中央集権的な権力による支配を目指し、成功したのが、織田信長豊臣秀吉徳川家康だったのです。

 その中世無縁社会の歴史について網野善彦伊藤正敏の著述からは素晴らしい日本社会の事実を知ることが出来ますので、その一端を概略して紹介します。

 網野善彦による「無縁・公界・楽」(平凡社、1996年)、「日本社会の歴史、上中下」(岩波新書、1997年)。

 伊藤正敏による「神社勢力の中世ー無縁・有縁・移民」(ちくま新書、2008年)、「無縁所の中世」(ちくま新書、2010年)。

 中世の始まりは、1086年の白河上皇による院政の開始など諸説ありますが、伊藤正敏によれば、延久二年(1070年2月20日)で比叡山延暦寺の京都末寺たる祇園社が、東は東山、西は鴨川西岸の堤、南は五条末、北は三条末に及ぶ広大な地域を「境内」として領有することが認められ、巨大な不入地として「不入権」を得た、京の都における無縁所第一号の法的な成立を以って開幕としています。

 1056年には東大寺の不入権が認められており、その前後に不入権が認められているのですが、都の京で強大な不入権を認められた祇園社は時代の変換ポイントとしての中世の始まりと言えるのです。

 つまり、中世では武家政権、幕府といえども、不入検断権は自由ではなく、無縁社会の「境内都市」は広大であり、信長を脅かした浄土教世界の石山本願寺一向一揆一向宗日蓮宗無縁社会たる「寺内町」なのです。

 平安末期の近畿地方では東大寺興福寺などの南都北嶺の他に東寺、醍醐寺、岩清水八幡宮寺、四天王寺などと無数の都市に満ちた都市社会・無縁所だったのです。

 高野山の分派として広大な境内都市としての無縁所を持った根来寺は堺や近江とともに軍需産業を中心とした商工業地域だったのです。


 織田信長は、はじめは根来寺などの境内都市とは協調していましたが、1568年には自由都市堺に二万貫(6億円)の矢銭微課の強制を課して従わせ、1571年には「不邪淫戒違犯」と比叡山焼き討ちをして境内都市の制覇に乗り出しました。

 1581年には、信長は『天下布武』宣言をして、境内都市を支配下に置こうと硬軟の手段による堺や高野山根来寺軍需産業と商工業などの経済基盤を獲得しようとしたのです。

 信長亡き後、秀吉は1585年に高野山に「寺僧・行人らの僧は学問のたしなみがないうえ、仏教と無関係な武具、鉄砲製造を行っている。これは悪逆無道であるから禁止する」と根来衆雑賀衆から武器を招収、高野山の僧侶に対して武装放棄を確約させて最初の刀狩を行っています。

 1588年になると豊臣秀吉刀狩令海上賊船禁止令を同時に発して兵農分離の命の基に神社勢力の無縁所・境内都市の武装解除によって不入不断権を奪って「自検断権」を得たのです。

 つまりは、無縁所・境内都市の存立保障だったパワーの基たる「検断不入権」たる国家警察権代行権が奪われたのです。

 そして、徳川幕府によって、宗教勢力を完全な幕府管理下として、檀家制度の下に今日に続く葬式仏教化させてしまったのです。


 今日でもパターナリズム的な上から目線の人達が、主君の命に従い職務の遂行と死すべき法を教える江戸時代の支配統治のための武士道に幻想をもって、“無批判に礼賛されがちな武士ではあるが、その台頭には経済ヤクザさながらの暗黒史を伴っている。”のだ(伊藤正敏)。

 “武士の時代への転換に際し、「権断得分収取権」という法理が、決定的な役割を果たした。” “寺社が「検断不入」を守ろうとした理由”として抵抗した。

 “国家の治安維持という名分を欠くならば、武士は強盗まがいの暴力集団に過ぎない。”

 “弱肉強食を追認正当化するような、検断得分は非道な法ではないか。無法の法ではないか。”


 現代社会の無縁社会を許さない国家権力による「法理」でもあるのです。

 すべての国家権力の命であれ、如何なる集団、個人であれ、戦力となる武力、暴力を放棄して、人の命を奪うことのない無縁社会の成り立ちこそが人類社会がダークエネルギーの法理、ケガレの生活律を楽しめるのだと千利休は想いをめぐらしていたのではないかと私は「無縁のΛ喫茶・茶の湯」に勤しみたく思うのです。

 善悪を簡単に決めることのない摂理の世界にこそ真善美のダークエネルギーの摂理に矛盾しないケガレのエネルギーの生活律がある!

 このブログを書いていたらテレビニュースで「光速より早い質量のあるニュートリノ発見」と耳に響いた。

 アインシュタイン特殊相対性理論にある前提たる、質量あるものは光の速度を越えられないとの理論を越える発見である可能性があるではないか!

 「無縁のΛ喫茶・茶の湯」に励めとダークエネルギーが、私をケガレのダークエネルギーに充ちさせている!
 
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