『臨床喫茶学』・・もう一つの茶の道・・11;ケガレ・ケ・ハレの生活律喫茶・茶の湯

 忘れられた衆生安楽への生きた生活喫茶・茶の湯・・10

 空也上人のケガレ・ケ・ハレの喫茶・・2・・オブクチャ・御仏供茶・皇服茶 

 
 今日、皇服茶として六波羅蜜寺に伝わる正月三が日間の煎茶に梅干と結び昆布とが 入った煎茶茶碗が参拝者に振舞われます。

 無病息災の思いが込められているのです。

 皇服茶は村上天皇の病気を聞いて茶による回復を願ったと伝わることに由来するのですが、王服茶、大服茶とも言われます。

 空也上人は、天皇も含めた貴賎を越えて疫病や飢餓に苦しむ人たちに施茶を行なったと私は思います。

 非田院や施薬院などに収容された病人、飢餓者、孤児にも施茶による回復を願ったに相違ありません。

 1966年の本堂解体修理の時に行なわれた発掘調査で出土した数万個に及ぶ五輪塔形小塔群や土仏・木仏とともに発掘された平安時代の茶碗に往時を偲ぶことが出来ます。


 空也上人については、一派を率いようとの意欲がありませんでしたから、今日も、行基栄西叡尊のように書物としてかかれることは多くありません。

 自分自身も、生まれや素性について語ったり、記したりの資料は残しておらず、資料が多くありません。

 空也一周忌に書かれた源為憲による「空也誄」と貴族ながら俗界に身を置きながら空也と交流した文人・草庵精神を実践した元祖・慶滋保胤が「日本往極楽記」に空也について記述を残しています。

 平安末期の「本朝文粋」にも、男女が雲の如く集まる様子が書かれています。

 また、「本朝文粋」には、慶滋保胤行基の茶園について記していますが、嵯峨天皇の時代の永忠、最澄空海などが喫茶をして以来、宇多法皇菅原道真藤原道長天台座主良原などが茶を飲んでいた事実が伝わっていますから、空也の時代には、煎じ茶が、貴族や僧の間で飲用されていたのです。

 菅原道真が貧しい生活を強いられた大宰府でも喫していたのですから、当時、既に、茶園やヤマ茶が各地の山野に広まっていたのだと私は思います。

 煎じ茶、煮だし茶、茶粥などが行なわれていたに相違ないと私は推定しています。

 それ故に、貴賎を越えていた空也は、関白を置くことなくがんばった村上天皇の病気治療のみならず、市中の乞食行を行なって、病人や貧者にも別け隔てすることなく、施茶・施粥などを熱心に行なっていたと思うのです。

 つまりは、ケガレの喫茶に一生懸命に努めていたといえます。

 上述の「本朝文粋」には、「市中を行乞し、衆生を教化し、微々たる銭や米銭一粒の施入を受けて大般若経六百巻の写経が成り立った」とあるそうです。

 通常の如く大口スポンサーや権力者からの寄進に決して依存しなかったのです。

 反権力ではないが、非権力の姿勢が貫かれたと判ります。

 その心は、中世の貴賎を超えてすべての人たちが駆け込める無縁所での「世をしそこなった人びとが不利益を蒙ることなく、自力による再生のチャンスが与えられる場」(「無縁所の中世」伊藤正敏ちくま新書)への発展に繫がった原典だと思います。

 終生沙弥を貫いた空也は、まずは、「とりあえず死を免れることが出来る優しい避難所」と極楽浄土への道を導いたケガレの喫茶の実践者だったと尊敬の限りです。

 私の「ケガレ・ケ・ハレの生活律喫茶・茶の湯誌」は空也から始まります。

 「史」ではなく「誌」としたのは、歴史学民俗学文化人類学アニミズムを「ケガレ・ケ・ハレの生活律喫茶・茶の湯」の観念では統合を思考しているからです。

 空也や無縁所は、自由・平等・博愛を目指しながら、世俗の「勝者の正義」「敗者の不正義」からともに超然とするために外部権力の不入を自らで融通無碍の威力を発揮してタブーをも肯定する超人世界を築いたのです。

 それ故に、空也や境内都市たる無縁所はケガレを肯定する喫茶・茶の湯文化を発展させ、「ケガレ」の観念は「ワビ・サビ」観念を内包して先祖が境内自由都市・堺出身者たる千宗易・利休を代表として完成させたのだと言いたいのです。

 歴史的事実とアニミズム的思考との区別は、常に明確に意識していなければなりませんが、千宗易・利休は無縁所の自由・平等・博愛を保つために織田信長豊臣秀吉による中央集権力支配に自力の非暴力・非権力では乗り越えることが出来ずに、無念だが潔く切腹した、つまり、ケガレをハラウことが出来なかったと私は残念に思います。

 千利休・利休は、残念ながら「ワビ・サビの茶」によって「ケガレのハライ茶」を完成、実証するには至らなかったと言えます。

 修生沙弥を貫いた空也は、御仏供茶・施茶による衆生安楽の生活喫茶の元祖としての「ケガレのハライ茶」を、今日に活かし得ていません。

 現代は、空也の時代のような末法的不安と不安定性社会となって人びとはケガレ(気枯れ、気渇れ、褻ガレ)ていますので、「ケガレのハライ茶」の再興が求められています。

「ケガレ」を「気枯れ」、「気渇れ」、「褻ガレ」とした時、「褻」は、普段の日常生活を維持する活力たる「気」の意味と共通して、「褻ガレ」は「気枯れ」と通ずると判ります。

 しかし、空也上人は、普段の日常生活どころか、疫病、飢餓、貧者、権力による強奪に恐れ慄いている人たちの生命力の衰えた「ケガレ」からの開放に努めたのです。

 反権力ではなく、非権力で「ケガレ」を否定的に考えるのではなく、肯定することによって極楽浄土への道を南無阿弥陀仏の念仏を称え、オブク茶・施茶によって人びとは生命力の活力源として衰退から開放されて「気」、「褻」のエネルギーに満ち満ちる喜びを得たのだと思います。

まさに、すべての人類のケガレた人たちにタマシイを込めて「まあいいや。お茶飲め。菓子食え」(「戦争絶滅へ、人間復活へ」(むのたけじ岩波新書)と私が求める「ケガレの生活律喫茶・茶の湯」の超自然のすべてを肯定する霊気が伝わってくるのです。

 現代で言えば、軍隊の如く命令と服従が絶対の「武士道」のように上から目線で俗世のご都合で忠誠、人を殺す術、死に方を求めるのではなく、貴賎、貧富、男女、素性生まれ、病気・健康、さらに人種、国境、国家権力を超えた人たちが求める「ケガレ」の喜びは、むのたけじが言う「希望は絶望のど真ん中に」(岩波新書)なのです。

 空也上人が案じた末法の世(我が国では1052年に入る)は、藤原道長、頼道らの摂関政治で加速して、「世をしそこなった」すべての人たちが駆け込むことが出来る無縁所世界の中世(1070年、「無縁所の中世」伊藤正敏)社会を向かえたのです。

 話は飛びますが、「ケガレの生活律喫茶・茶の湯」は、金持ちも権力がある人も、民衆も、社会的生活弱者も、すべての人類が例外なくこの世に生きている限り、お互いに敵視することなく、ケガレを肯定して喜び、楽しむために、むのたけじが言うように、何としても戦争をやれない世の中をつくらなければならないのであり、すべての人たちが中世的無縁社会でも平和で意欲をもって、毎日が生きられる世を目指すのです。

都合が悪くなると人のせいなどにすることなく、自らのケガレをエネルギーとして生きようとすることの出来る社会!

ゴールは、暴力・殺人はないが、聖人を求めるのではなく、なんびとと言えども人間らしい生き方が模索出来る地球レベルの平和社会です。

 今日にあって、“末法の世”を迎えないためには、空也上人のように絶望的であっても希望は捨てず、悲劇的なケガレで人類が滅亡しないために、“世をしそこなっても”一人ひとりが自らの内からの「ケ・気」でどう生きるかの道しるべとすべきの“称名念仏”は、「暴力・戦力と国境をなくす!」なのだ。


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