『臨床喫茶学』・・もう一つの茶の道・・6;ハレ・ケ・ケガレの生活律喫茶

 忘れられた衆生安楽への生きた生活喫茶・・6

 ハレ・ケ・ケガレの喫茶を詠んだ菅原道真・・2


 私は、菅原道真は「ハレ・ケ・ケガレの生活律喫茶」を詩に残しており、「ケガレ・気枯れ」た心身を「ケ」、「ハレ」への変換のエネルギィーを喫茶に求めた元祖だと思います。

 文人学者、官僚政治家にして人を恨むことのなかった文道の租・菅原道真は、学問の神、慈悲の神、正直の神、文芸の神として今日も崇められています。

 市聖・空也上人と親しかった脱俗の草庵の元祖・慶滋保胤行基のみならず菅原道真を文道の租、詩境の主だと詩文・学問の神として願文を寄せています。

 菅原道真は、和魂漢才の国風文化のさきがけとしての詩人として輝いています。

 和歌や連歌の守護神としても、多くの歌人から敬われているのです。

 「古今和歌集」に大きな影響を与え、中国的な感性に「倫理性と耽美性」の感性を取り込み、「見立て」の表現の詩の技法は「古今和歌集」によく用いられています。

 「見立て」と言えば、茶の湯文化のキーワードでもあります。

 「大和魂」の世界に、「もののあわれという匂やかなほのかな光を点した」と川口久雄注による名著たる日本古典文学体系72「菅家文章 管家後集」(岩波書店)に記されています。

 その名著は坂本太郎著・人物叢書菅原道真」(吉川弘文館)、藤原克己著「菅原道真 詩人の運命」(ウエッジ選書)に影響を与えています。

 また、大岡信による「詩人・菅原道真 うつしの美学」(岩波現代文庫)で感動を呼んでいます。

 
 今回は、菅原道真が後輩の紀長谷雄に送ったために今日に残った自らのまとめた著作「管家文草 管家後集」(川口久雄注)から茶について詠った詩を紹介します。

 つまり、菅原道真が学者・文人であるがゆえに著作物が私たちに残ったのですが、「菅家文集」、「菅家後集」に茶を詠っていることは、京都でも大宰府でも茶を飲んでいたことを意味します。

 ・・茶が、当時、既に、地方に広がって飲まれていた事実を示すものです。

 ・・大宰府では貧乏暮らしの菅原道真が茶を喫していたことは、茶が高価な飲み物でも無かったということです。

 既に、前回、「茶」の歌を二首の部分を取上げましたが、もう少し前後も取上げたいと思います。

 「管家文草」は、十一歳での歌「月夜見梅花」(月夜に梅花を見る)に始まり、五十七歳で大宰府に左遷されるまでの歌と散文をまとめてあります。

 「管家後集」は、その後の作品をまとめたものです。


 京都を出立する時に詠んだ歌が「東風吹かば匂いおこせよ梅の花 主なしとて春を忘るな」(拾遺和歌集)で、上述の道真の歌の美が表現されていると思います。

 ・ お茶の文字は出てきませんが、「管家文集」巻第三に「三年歳暮、欲更帰州、聊述所懐、寄尚書平右丞」の詩があり、「一離一会宛如新」(一離一会 宛も新なるが如し)とあります。

 「一たび会い、一たびわかれる、その時その時が最初であり最後である。 そなたに会うのも別れるのも、ちょうど新しくはじめてのような思いである。」と川口久雄注です。

 マサニ、有名な井伊直弼による「一期一会」(茶湯一会集)であり、山上宗二山上宗二記)の「一座建立」ではありませんか!

 平安中期に菅原道真が既に、茶の湯にあって、上述しました「見立て」とともに茶の湯「会」のキーワードの元祖だとわかります。


 ・「菅家文草」巻第四に、「八月十五日夜、思舊有感」(八月十五日夜、旧を思いて感あり)の詩があります。

 「菅家の故事 世の人し知る

  月を翫みて 今は忌月の期たり

  茗葉の香湯をもて 飲酒を免る(茗葉香湯免飲酒  酒を飲むかわりに、お茶の葉のほんがりと匂やかな茶の湯を飲む)

  蓮華の妙法をもて 吟詩に換う(詩を吟ずるかわりに、妙法蓮華経を読誦する)

  ・・・・・」と続きます。


 「茶」の字には、上述の詩の如くの「茗」に加えて、既に取上げた中国喫茶史の始まりを伝える紀元前後の「僮約」にある「荼」が用いられます。


 ・ 次に紹介しますのは、「荼」は「にがな」の意味で、必ずしも「茶葉」ではありませんが、茶葉の苦さでも良いとの思いて取上げます。

菅家文草」巻第五にあります道長の恩師で詩人であり妻の父・島田忠臣を悼んで詠んだ詩「哭田詩伯」です。

 「哭(な)くこと考妣(ちちはは)の如くにして 荼を喰ふより苦し

   ・・・・・・」と続きます。

 大宰府に左遷後も命の続く限り詠い続けた菅原道真の「詩賦の道」の師の清貧幽居を楽しんだ詩人を偲んでいるのです。


・「菅家文草」巻第五にあります、多忙を極めていた時期に久方ぶりに五日間の休暇が取れたときの「仮中書懐詩」と題した五言古調の詩があります。

 地中からの紹介です。

 「一たび歎けば腸廻り轉ぶ 再び歎けば 涙滂沱たり

  東の方 明めどもいまだ睡らず

  悶ゆるとき 一杯の茶を飲む(悶飲一杯茶)

  天は閑なる意を惜しまず  ・・・・・・」と続くのです。


 ・ 次の詩は大宰府左遷後の「管家後集」にある陰惨深刻な詩「雨夜」の古調十四韻五言の詩です。

  「煩懣 胸腸に結る 

  起きて飲む 茶一盞 飲み了りて消磨せず 

  石を焼きて胃の管を温む 此の治遂に験あること無けむ

  強へて傾く 酒半盞  ・・・・」と続いて、酒が嫌いな道真の苦悩が「耽美性と倫理性」ある唯美的な人を恨むことなく詠れているのが素晴らしく、紫式部の「源氏物語」に伝わる漢才と対比させた「大和魂」の元祖の響きです。   

 菅原道真の「ケガレ・気枯れ」から「ケ」、「ハレ」を求めた喫茶には、後の村田珠光による和漢の界を紛らかした和歌の心たる「枯れかじけ」と「サビ」の境地たる茶の湯観念・「ワビ・サビ」の美を越えた「ハレ・ケ・ケガレの生活律」の喫茶・茶の湯ワールドを感ずるのです。

 「管家後集」の「詠楽天北三友詩」の最後にあります「一悲一楽志所之  一は悲しび一は楽しぶ 志の之くところ」が私は大好きです。

 菅原道真のように神になったような人にも、「ハレ・ケ・ケガレの生活律」があるのです。

 今日、なんびとにも「ハレ・ケ・ケガレの生活律」があることを認め合うことを忘れているように思います。

 そして、人それぞれが「ケガレ・気枯れ」からのパワーアップの方法を持つ必要があるのです。

 菅原道真は右大臣になっても本来の学者・文章博士に戻りたかったのですが、適えられず、挙句の果てに左遷の憂き目に会ったのです。

 しかし、「ケガレ・気枯れ」にあっても喫茶では癒されなかった菅原道真には、詩歌があり、人を攻めることはありませんでした。 


 私は、カイモク、漢詩はダメですので、ここで紹介しました著書の一読をお勧めです。

 信天翁喫茶 入門 益荒男が茶の道」(山中直樹著、アマゾン、Dr.BEAUT・ソフィーリッチなどのネットで販売中。アップルのアップストア(App Store)の電子書籍としても販売している)