『臨床喫茶学』・・もう一つの茶の道・・1;ハレ・ケ・ケガレの生活律喫茶

 忘れられた衆生安楽への生きた生活喫茶・・1

 信天翁喫茶 入門 益荒男が茶の道」(山中直樹著、アマゾン、Dr.BEAUT・ソフィーリッチなどのネットで販売中。アップルのアップストア(App Store)の電子書籍としても販売している)


 私が愛読書としているのは、まず、鶴見俊輔による「限界芸術論」、最近の著書では「思い出袋」や「隠れ佛教」などです。

 また、歴史家の網野善彦との対談書の「歴史の話」などは教えられることに満ち満ちています。

 網野善彦の著作にも、鶴見俊輔同様に、大変貴重な生き方を学ぶことが出来ます。

 網野善彦の著作には、「無縁、公界、楽」「増補 無縁・公界・楽」「日本社会の歴史」、「日本中世都市の世界」や「米、百姓、天皇」などがあり、篠田正浩著の「河原者ノススメ」とともに、日本の“もう一つ”を知るための大切な本だと思います。

 麁相の喫茶・茶の湯を取り上げた我が著書「信天翁 入門 益荒男が茶の道」でも、不十分ながら取り上げましたが、ここで、“もう一つの茶の道”を中心に取り上げます。
 
 
 現在、日本経済新聞の連載小説で安部龍太郎による「等伯」や永田ガラ著の「信長の茶会」などを読んでいると日本の中世のイキイキとした“無縁・公界・楽”の息遣いを感じます。

 私は、また、日本の僧では、飛鳥・奈良時代行基平安時代中期の空也鎌倉時代叡尊道元南北朝室町時代の夢想礎石や一休宗純、江戸時代では良寛の面々に敬意を持っています。

 最近、別冊太陽で「名僧でたどる日本の仏教」(監修・末木文美士)が出版されましたが、監修者による序文で「仏教教団は多種多様な人びとを受け入れてきた。 皇族や貴族の弟子から、税金逃れの民衆や犯罪者まで、一種の治外法権的なアウトロー集団といってよい強大な組織を作り上げてきた」と記されています。


 21世紀となって、煽りの資本主義による矛盾に、山下範久(「現代帝国論」)が指摘するようにポランニー的不安の時代として、人間は労働力、自然は土地、流通を媒介する貨幣はバーチャル化して、神聖たるべき人間、土地、お金も市場の商品となってしまいました。

 そして、ネット社会となって、社会は“環境管理型社会”(東浩紀大澤真幸自由を考える 9.11以降の現代思想」)となってきました。

 こうした時代に、茶の湯文化は、今日、千家、藪内、小堀などと江戸時代・元禄以後に成立した茶道なる家元化した文化が現代では中心となっています。

 加えて、多くの人たちは、千利休以後の侘び寂びの茶が日本の喫茶・茶の湯の歴史だと思っているのだと思います。

 それ故に、家元制中心の「茶道」の歴史ではなく、広く喫茶・茶の湯文化の歴史的発展史とその社会的に果たしてきた歴史を知る必要があり、健康・栄養も含めた今日的綜合史を知る必要があります。


 米について言えば、祭礼や神話性、食料・米食悲願、律令製国家の租税制度、貨幣的流通手段などと複雑な日本社会の歴史が絡み合っています(「米・百姓・天皇 日本の虚像のゆくえ」網野善彦、白石進、筑摩書房)。

 仏教には、現代に繋がる律令制以来の国家鎮護としての仏教と貴賎・賢愚・善悪・老若・男女を越えた仏教の歴史があるように、喫茶・茶の湯にも、民衆の衆生安楽の歴史もあるのです。


 民衆に優しかった空也叡尊のような僧は、“もう一つの茶の道”文化の代表でもあるのです。

 喫茶・茶の湯文化も、社会、経済、政治とはバラバラではなく影響しあいながらの歴史となります。

 そこで、私は、今回、日本の無縁・公界・楽の世界でイキイキとした“もう一つの茶の道”を紐解きたいと思います。