『臨床喫茶学」・・レトロ・モダンの喫茶ワールドでライフスタイルを学ぶ・・15

 日本の国の成熟とはを考える・・14・人間関係の多様性を問う・・平野啓一郎作「かたちだけの愛」


 中年男女の恋愛小説による愛のかたちと人間関係の多様性についてが話題となっています。

 男性はプロダクトデザイナーで離婚経験者。

 女性は女優、美脚のファッションモデル、男性関係は複雑。

 男性が彼女の運転していた自動車事故の現場で偶然に居合わせた。

 その事故によって彼女は美脚を切断したが、手術をした病院から義足を作るように依頼されることになった。

 
 “仕事が生甲斐の人生”と思い込んで一生懸命となって、離婚を突きつけられた人たちは少なくないのが現実だと思います。

 小説の冒頭は別れた妻が「あなたにとって、愛とは何なの?」から始まっています。

 そして、「あなたにとって、本当に大切なものなの?」と喰い下がられて、「少なくとも、水や空気みたいに、無いと死ぬってほどのものではない」と答えています。


 男性が仕事を介した女性との人間関係から仕事とと愛のかたちを考えさせられことになったのですが、結局のところ「自分という人間を愛したことがなかった」ことに気がつくことになったのです。

 男女間の性的な関係について、「男と女は、愛を抜きにして、欲望だけで抱き合えるように、恐らくはそうして、親切だけでも交わり合えるはずだった。そして、それを愛と錯覚し続けるには、少々繊細すぎるのだろう」とdisabledとなった女性と「幾度となく体を重ねながら、次第にその考えを実感」したのです。


 プロダクト・デザインが「唯一の生の拠りどころだったが、自分ではその意味さえ、はっきりとは理解していなかった」としています。

 男性は女性といる時の自分が好きだと、「他の誰といる時の自分より好きで、この自分なら愛せるかもしれないという気が初めてしていた」としています。

 「なぜ人は、ある人のことは愛し、別のある人のことは愛さないか?――愛とは、相手の存在が、自らを愛させてくれることではあるまいか」と彼女にとっての自分がそういう存在でありたいと願うようになったのです。


 臨床喫茶学的なレトロ・モダン的に言えば、「主客直心の交わり」とはを考えさせます。

 私は、自分が喜んで、どれだけ、相手の立場、喜びそうな縁も考えたコミュニケーション文化が茶の湯のレトロ・モダンだと考えています。

 私は、肉体関係がどうのこうのという前に、「直心の交わりとして、心をどれだけ開けるか」が会の問題だと思います。

 「相手の存在が、自らを愛させてくれる」とも言えます。

 自分を何時も愛せることが、相手の存在での相対であることは、移ろいが気になります。

 私の茶陶での好みから言えば、トドノツマリは、単純な姿かたちの用の美、存在感無き存在の用の美あるものが究極だと思っています。

 つまりは、“水や空気のような存在で成り立つ”が私の好みです。


 私は、一休宗純の道歌「誤りて不動をよきと思うなよ そのこころは悪魔とはなれ」、宮本武蔵の「心の持ちようは常の心に替る事なかれ」を教えにしていますから愛のかたちにも求めてしまいます。


 『  平野啓一郎の“かたちだけの愛” 私は“かたちなき愛”

    私だけの愛

    相思相愛

     相手の存在が

     私自身を好きにする

      がんばる私を!


     色即是空

     空即是色

      かたちあるものは

      移ろう!                       』