「臨床喫茶学」・・レトロ・モダンの喫茶ワールドでライフスタイルを学ぶ・・13
日本の国の成熟とはを考える・・12・人間関係をどう見直すか;戸惑いながら自分らしく考える・・香山リカ
精神科医・香山リカは、最近、「世の中の意見が<私>と違うとき読む本 自分らしく考える」(幻冬舎新書)を上梓されました。
私は、白か黒かとか二者択一的な単純化した判ったような、これしかないと言わんばかりに決めてかかるヒステリックでマニュアル的な本が好きではありません。
最近の“カリスマ”的著者らによるヒット本は、今日的な予測不能な不安な時代には判り易い本として受けているようですが、私は「Things are not What They Seem!」であり、一見判ったように見えても、現実問題の解決には、「それで何だ!」と言いたいことは少なくありません。
香山リカ著で昨年のNHK番組;NHKテキスト 知楽遊学シリーズ 「歴史は眠らない」で取り上げられた「日本の母親の肖像」では、子育てを介しての日本人像を浮き彫りにした「日本の国の成熟とは」を考えさせる優れた問題提起だと思います。
この度の著『世の中の意見が<私>と違うとき読む本 自分らしく考える』も、この世の多様性を認めた本で、最近多くなっている「人に嫌われることを嫌がって」自分の意見を言わず、自分らしく考えようとしない老若男女が、肩を張ることなく社会を自分なりに生きるための一読すべき本であること間違い無しです。
前回の斉藤環著『「社会的うつ病」の治し方 人間関係をどう見直すか』とともに、現象を俯瞰的に観察しながら冷静に分析、客観化して既成概念に縛られたり、我田引水的に誘導することなく、問題解決に取り組むための大切な方向性を示す本として素晴らしい。
しかも、重要な問題を先取りしています。
今日のような変転が激しく、混沌とした、よりどころ無き不安と不信の時代に、安易に群れることなく、自分の意見を持って、肩を張ることなく、自分らしく生きるためには大変良い本ですから是非とも一読をお進めです。
香山リカは、ハイカルチャー、サブカルチャーであれ自分らしく生きるための社会の多面的な課題に、鶴見俊輔の言うような限界(marginal)を設けることなく取り上げて、考えるためのキーとなるポイントを適切に指摘していると思います。
つまりは『現代社会が抱える多くの複雑な問題について、私たちはどうやって結論を出したらいいのだろうか。このことじたいが、とても難しい問題だが、本書ではいくつかの具体的な問いを事例にして、とりあえずの結論の出し方、自分の立場の決め方について考えていきたい。』と『正しい答えはどこにある?』を序章にしています。
「兎にも角にも一読をですが、例えば、『未熟さゆえに複雑さを受け入れられない』『そもそも即決即断できないことのほうが多い』と話を展開しています。
最近話題の「共通善と正義」を尊重するコミュニタリアニズムについても「公正さ」について、その実現の難しさを指摘しています。
今日的な問題として考えて見ます。
私は東日本大震災後の地球レベルの最も深刻な課題たる東京電力福島第一原子力発電所事故の処理に当たって、“致死的な放射能をあびても、初期の段階で多くの人たちに放射能が拡散する被害を防ぐために決死の予防処置を実践する職務を遂行する”が「共通善・公共善の正義か」と「臨床喫茶学」の課題として自分が議論ではなく職務を遂行しなければならない時に如何様に言って行動するかと自問自答します。
私が、介助の医師の不注意によって、劇症肝炎の患者の血液が飛び散って口の中に入ったが、どうのこうの以前の無意識レベルで処置中の手を離せば患者が出血死と血液を飲み込んだ時を思い出しました。
私が、共通善・公共善を唱える時は、マハトマ・ガンジーの如く「今日一日の命と生き」、自らが実践する心の決意があるときとしています。
ニーチェ的に言えば、私がかくありたいとするは「我欲すをなすを善となす」との意欲と一致した時に「世の中を美しいものとするであろう」と行動するです。
私が、最も忌み嫌うのは「社会正義を唱えつつ自らを欺かない」であり、偽善家であるよりも偽悪家でありたいと決めています。
「ネバナラナイ」の幻想から開放されると「善悪、良し悪しを越えて」「寂滅為楽」の境地が近づくようです。
そして、「見過ごすことが唯一の否定的態度でありたい」と莫煩悩の日常茶飯・常住坐臥です。
既に取り上げました映画「トウキョウソナタ」(黒沢清監督)でリストラ対象となった父親と共通する、私の日頃の問題意識にある話題を紹介します。
「自分の存在意義を確認するが難しい社会」が取り上げられています。
『従来のように「東大生だから」「財務省の官僚だから」「世界のソニーに勤務しているから」「子供が三人いてみな医者だから」といった属性だけで、「それはすごいですね」と高い評価を得られる時代ではなくなった。
「官僚として何をしたの?」「子供は医者だとして、それであなたは何をしてるわけ?」と、あくまで自分自身が何をどう達成したか、ということが厳しく問われる。
たとえ総理大臣経験者だったとしてもそれだけで尊敬を集めることなく、「で、就任中、どんな仕事をしたっけ?」と聞かれるに違いない。』と職業に貴賎は無いとの基本を問うているのです。
『そのとき、「私は、このようにほかの誰にもできないことを成し遂げました」と、堂々と自分の価値やかけがいなさの根拠を説明できる人は、ごく少ないだろう。
逆に、「何をしてきたわけ?」「それはほかの人にはできないことなの?」と問われると、「そう言われればたいしたことはしていない。
私じゃなくてもできたかも」と自信を失い、自己肯定感はどんどん目減りしていくかもしれない』と、まさに「トウキョウソナタ」の父親が直面した課題です。
その他の取り上げられている課題は、既存の価値観に誘導しようとか、はめ込もうとする押し付けではなく、アレヤコレヤと「自分らしく考え」て、すぐに答えを出さなくてよいとしています。
“世の中の意見が<私>と違うとき”ではなくとも“読む本”だと思います。
香山リカは、多様、混沌の世にあって、“中庸”の大切さを説いています。
風呂敷、着物文化が日本のレトロ・モダンの成熟にキーとなる!
『 自分らしく生きるために考えよう!! 香山リカの如く
この世はノーリターンの一回性の命に輝こう!
世の中の意見が<私>と違うときは喜びだ!
ネバナラナイの幻想から開放されて
我欲すが何かを感じよう!
「それでナンだ!」と問うてみよう!
社会正義を唱えながら自らを欺くことはやめようよ!
“みんなが言っている”はやめようよ!
Things are not What they seems!
Art is long and Time is fleeting!
Funeral marches to the Grave! 』