「臨床喫茶学」のための「信天翁(シンテンオウ)喫茶」・・20

 「臨床喫茶学」・・お互いが平和で心豊かになり健康で文化的な生活実践法を学ぶ・・20

  「信天翁喫茶 入門 益荒男が茶の道」(山中直樹著、アマゾン、Dr.BEAUT・ソフィーリッチなどでネット販売中)


 「淡食麁茶」の今日的意味・・15・・健全な身体に健全な精神が宿る生活実践力を養う知識を得るために・4

 
 既に取り上げました角田光代の「神さまの庭」での食を介する心の絆・連帯を話題としましたが、最近のNHKテレビの代表的連続番組でも食と心のつながりが取り上げられています。

 NHKテレビ「龍馬伝」(11月14日)で、土佐に帰って実家を訪れ、家庭料理を食べながらの龍馬が“坂本家の飯が一番”と言っていました。

 また、NHKテレビ「てっぱん」では、食が地縁、血縁の心の絆・つながりになるとの話題がでてきます。 

 ・ 尾道育ちの主役の女性が大阪に出て、育てのお母さんのお好み焼きの味が自然に伝わっていること。

 ・ 大阪の娘さんで主役の産みの母親が、尾道の育ての親の家で料理したアジの南蛮づけの味が、主役のお婆ちゃんの娘なのですが、そのお婆ちゃんの娘は逆らって家出したにもかかわらず、言わずもがなに、料理の味は伝わっていたのです。

 ・ 大阪でのお婆ちゃんの家で主役と同居している女性も、新潟で料理屋を営んでいる父親もとでの生活が嫌で家出同然だったのですが、お婆ちゃんがその女性の姉から新潟郷土料理で父親の料理・のっぺのレシピーをもらって料理して振舞ったら、その女性は嫌がっていた故郷が忘れられなくなったのです。

 つまりは、二人とも実家での生活を嫌って故郷を出たのにもかかわらず、知らぬ間に知った味が、心の絆・つながりとなって親子関係(血縁)や地縁となるのです。


 また、私ごとですが、アメリカ在住の娘が日本に帰った時に外食料理より、母親の酢豚が食べたいとか、野菜の煮つけを食べたいと言いますが、私も、実家での豆腐、油げ、桜形の切り干し大根入りの赤味噌汁が飲みたかったり、ワタリガニをゆでたり、カレイを煮付けたりして食べる味が忘れられません。


 「淡食麁茶」の今日的な表現は「食と水・飲み物」で、生きるための必要不可欠な飲食文化たる喫茶・茶の湯文化の基本となるものです。

 喫茶・茶の湯文化は、レトロ文化として今日では日常からは懸け離れていますが、今日におよんでもワビ・サビの文化と言われて何となく日本を代表するようですが、今日的な臨床喫茶学として言えば、私はレトロ・モダンの表現としては、「ガマン」、「モッタイナイ」、「オタク」、「モエ」、「間」の文化だと思います。

 「淡食麁茶」は自然との共鳴・連帯文化で、日本人が自然を離れては成り立たず、人間の取り分を欲張らない文化なのです。

 まさに、「淡食麁茶」は、レトロ・モダンの文化たる臨床喫茶学のキーワードだと判ります。