「臨床喫茶学」のための「信天翁〈アホウドリ)喫茶」・・9

「臨床喫茶学」・・お互いが平和で心豊かになり健康で文化的な実践生活法を学ぶ・・9

  「信天翁喫茶 入門 益荒男が茶の道」(山中直樹著、アマゾン、Dr.BEAUT・ソフィーリッチなどで ネット販売中)


 臨床喫茶学的集い・・1・・河井寛次郎の茶碗

  この土曜日(10月16日)、慈善堂の三畳台目の茶室に慈善堂主、簗瀬庵主、遠結房主と共に吾らの喫茶師匠に指導を受けるために集いました。

 慈善堂主お好みの亀末廣の銘菓・山栗の味わいを楽しみにしたのです。

 偶然の幸いに、茶碗は、河井寛次郎作碗の初使いでした。


  その偶然は、前日に、親しい素封家が蒐集品の河井寛次郎作・呉洲泥刷毛目の茶碗を持参して現れ、“珍しいが判るか!!”と見せられたのです。

 印度古代更紗の風呂敷を解くと京漆の箱が現れ、ニ重箱の次の箱からはジャパンブルーの陶器が現れ、一見すると日常食器のようで茶陶の茶碗には見えませんでした。

 民芸の益子的影の作品だと直感出来ました。

 バーナード・リーチ的な彫と浜田庄司的な釉も感じたからです。

 独特の呉洲、鉄釉の色、日本人離れした茶碗の表面での彫、しかし、その姿かたち、高台は食器のようで、所謂茶碗とは思えないような作品なのです。

 箱書きには、「呉洲碗泥刷毛目 寛」と濃い墨、しっかりとした書で四隅いっぱいに書かれていました。

 私には河井寛次郎の箱入り・自筆の箱書き作品は初めてで、民芸作家として、ほとんどの作品は、所謂箱に入れ、自身による箱書きなどはしていないと思っていました。

 作品には作者の名は入っていません。

 私は、茶碗などの茶陶は見たことがなく、民芸作家として造ってはいないのではとの認識でしたので驚きです。

 素封家は、“よく判ったな、使ってみるように”と未使用の茶碗を貸してくださったのです。

 そして、翌日の慈善堂での集まった人達の喜びとなりました。

 ずんぐり、ゆったりとした大振りに見える丸型で、口辺下はしまって、胴から腰にかけてはどっしりとして張っています。

 手に取ると心地よい重みが伝わりますが、手のはまりはしっくりで、見た時ほどの大振りさ感じないの素晴らしさです。

 見込みには鉄釉が偶然のように認められるのですが、その外側の胴に認められる五箇所の彫の内の一つがポイント的な彫となっており、明らかに正面を示していると感じられるのです。

 そして、飲み口に廻してみると、また、ビックリです。

 何と左手の親指が彫の一つに当たるのですが、親指は彫の低い位置に当たってピッタリなのです。

 右手は、左側の胴は右側よりは張っているために、その張りが手の掌にシックリです。

 加えて、彫が右親指の付け根(第二関節)部にあるのですが、他の彫より低くなっていて、違和感なく手が添えられるようになっているではありませんか。

 民芸作家として用の美はハッキリと意識して作陶していることが伝わってきます。

  河井寛次郎の茶碗は、抹茶のための茶碗とは思えないながら、まさに、一碗を喫するには茶碗中の茶碗です。

 同時に、オブジェとして書院や現代的な空間に飾っても素晴らしいアート作品でもあります。

 まさに、ハイカルチャー・ローカルチャーの界を紛らかした民芸作品だと思います。

 一同、お互いには面識のない素封家に感謝しながら臨床喫茶学の体現に満足感が漂いました。

(河井寛次郎の茶碗写真は山中直樹のFacebook参照)