信天翁喫茶記

   心のイケメンある自活力・・迫る単身社会・無縁社会と自活力・・ゆるやかにつながる心の絆・連帯がキー・・19

    ・・不安の時代の自活力を育む・・

   「信天翁喫茶 入門 益荒男が茶の道」(山中直樹著、アマゾン、Dr.BEAUT・ソフィーリッチなどのネットで販売中)

 応仁文明の乱、下克上の不安の時代にあって、一休宗純の歌で私が大切にしている歌が二首あります。

 ・「誤りて不動がよきと思うなよ そのこころは悪魔とはなれ」

 ・「雨あられ雪や氷とへだつれど とくれば同じ谷川の水」

 既成概念に縛られて表面的な思考に捉われ、多様な価値観があること忘れてはならないのです。

 今日のように変転が激しい時代には取り分けキーとなります。


 村田珠光によるワビの喫茶・茶の湯の世界も一休宗純による価値観があってこそと私は思います。

 当時の会所の喫茶は唐物尊重文化であったのですが、歌の心たる「冷え枯れる」和物の価値観に目覚めたのです。

 続いたワビ・サビの茶の湯の始祖・武野紹鷗によって和風化が積極的に勧められました。

 茶の湯で中心的存在の掛物では唐物が尊ばれていたにもかかわらず、藤原定家の色紙を掲げて歌の心の導入がワビ・サビの茶の湯の原動となったのです。

 万葉以来の四季の移ろいや悲哀、喜びなどの和歌の世界の雅趣ある人間的心情の和文化導入です。

 韻文の世界・万葉の時代では、既に、山上憶良は貧しい人たちに優しい心を、天武天皇の皇子・舎人親王は皇子・ますらを(益荒雄)の歌として恋では相手の心がキーであって身分や権力では自由には出来ない心を歌っています。

 茶碗では瀬戸、信楽や志野茶碗が使われるまでになりました。

 武野紹鷗が先導、代表として草庵建築、茶室、作庭や茶道具に竹の導入が日本化の象徴となったのだと私は思います(「信天翁喫茶 入門 益荒男が茶の道」山中直樹著)。

 庶民生活で家屋や道具として汎用されていた竹の持つしなやかさを巧みに利用した茶道具は生活道具由来でもあり、建築、作庭としての竹は茶室の網代の天井、竹垣としても利用されていたのです。

 帛紗も武野紹鷗時代からです。

 武野紹鷗時代に導入された竹茶道具は次のようです。

 茶杓象牙から竹茶杓が、金属製の花入から竹花入が導入されました。


 続いた利休は、外国からの導入や見立て中心から自らがデザインをして前衛的な創作の世界を喫茶・茶の湯に先導したのです。

 しかし、江戸時代になると寛永九年(1932年)に刊行された初心者の手引書「草人木」三冊以後は、様式化した茶の湯が中心となって、生活弱者への目線は今日に至るまで消えています。

 同時に、利休が予言した「茶の本道廃るべし」の具現化プロセスとならねば良いのですが。

 今や、不安の時代にあって、一休宗純による「淡食麁茶」と私の美意識「美是唯淡」を喫茶・茶の湯の心のキーとして生活弱者への目線を取り戻さねばなりません。