心のイケメンある自活力・・迫る単身社会・無縁社会と自活力・・ゆるやかにつながる心の絆・連帯がキー・・・16

    ・・不安の時代の自活力を育む・・

    「信天翁喫茶 入門 益荒男が茶の道」(アマゾン、Dr.BEAUT・ソッフィーリッチなどでネット販売中)

 既に取り上げてきましたように、我が国では万葉時代の「貧窮問答集」の山上億良や民衆の生活の安定に努めた僧・行基に始まり、平安中期の市聖・空也上人による貴賎男女を越えての世界保健(WHO)的意味の健康栄養目的として施茶、施粥などと弱者に優しい目線を持っていたのです。

 さらに、今日の人権思想に通ずる目線は、「源氏物語」より前の九〜十世紀の初めに書かれた作者不明であっても日本最古の物語として今日に伝わる「竹取物語」には、既に、注がれていると判ります(山中直樹著、「信天翁喫茶 入門 益荒男が茶の道」)。

 物語では、今日的な話題でもある、押し寄せるかぐや姫の婿選びに当たり、世俗の貴賎に拘ることなく男たちに難題を課して権力、金力や暴力・武力・戦力を超えた純粋、平和な婿選びを既に行なっているのです。

 貴賎を越えての民衆への目線は、鎌倉時代西大寺律僧・叡尊の旅先での庶民への優しい施茶、儲茶を介しての経世済民へと引き継がれ、我が国の人権思想は施茶、儲茶などの喫茶がキーとなっていると言えます。


 鎌倉時代になると門前の茶屋が始まり、室町時代では一服一銭の茶と言われるように次第に仏門から町中の一般庶民社会へと喫茶の場が広まっていきました。

 喫茶が日本人の庶民の生活・暮らしに深くかかわりだす始まりです。

 鎌倉後期になると喫茶が遊興・遊芸・社交性を持ち、闘茶と呼ぶ、今日的に言えば、お茶のブランドの当てっこたる飲茶勝負が盛んとなったとですが、同時に、密談的な「茶寄り合い」としての喫茶も盛んに行なわれました。

秘密を打ち明けあうことによる絆を深める、貴賎を越える一味同心の喫茶です。

 足利尊氏が足利幕府を開いた時の法・「建武式目」では、「群飲逸遊」としての闘茶や茶寄り合いを禁止するほどの問題となったのですが、喫茶が今日でも人間にとって必要不可欠な娯楽・遊興・遊芸・社交性を内包して健康性・修行性に加えての人間的なつながり文化として発展したと判ります。

 そして、室町幕府の末期の応仁・文明の乱・下克上の不安の時代になると喫茶は新たな人間関係を含む喫茶文化としての展開が始まったのです。