信天翁喫茶記

心のイケメンある自活力・・迫る単身社会・無縁社会と自活力・・ゆるやかにつながる心の絆・連帯がキー・・・9

   ・・不安の時代の自活力・・

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  単身社会・無縁社会と言っても、その言葉の意味を共通化してお互いに話さなければスレチガイの会話となります。

 日頃の生活は単身で家族、ご近所とは無縁な関係ではあるが、通い婚、週末婚、遠距離婚や別居婚のみならず、事実婚、自由な性愛ペアー、ITを介したバーチャル婚などとノマドジー関係も含めた非法律的な関係は今日では珍しいことではないからです。

 そうした時代に、攘夷、攘夷の如く、“日本では”と、日本特殊論を唱えた議論や対策をしても、一面的に過ぎないといえます。

 現代社会にあって、パソコン、スマートホンやiPADとは疎遠な生活で使えず・使わずで、理解せずに社会体制や若者批判をしても、今やドンキホーテのようです。

 つまりは法律婚夫婦別姓少子化対策法律婚を前提の議論では、あまり意味がないのです。


 このノマドジー時代(「信天翁喫茶 入門 益荒男が茶の道」山中直樹著)に、日本の国名や国家がいつ何時に変わったり消えたりするかも判りません。

 NHKテレビテキスト「歴史は眠らない」八月号の漫画家・倉田真由美による「婚活白書」が男女間の婚活や婚姻についての歴史を概観するに有益です。

 万葉人たち古代人の婚活パーティーとしての歌垣に始まる「ツマトヒ婚」での「結婚」は家族というには不安定な自由な性愛や夫婦関係であり、経済力を持った男女対等な携帯だったのです。

 ゆるやかな結婚生活は男女双方の経済力を背景とした“自由な結婚”だったのです。

 古代より男女双方の「人生の選択肢を増やすためには経済力が必要」と言うことで、今日に及んでいます。

 その後、奈良時代天皇制が確立した七世紀中ごろから家父長制・一族社会による婚活や結婚スタイルが始まったのですが、次第に女性の経済力が弱まると「追い出し離婚」が為されるようになるのですが、労働力や経済力がある女性は直ぐに再婚が可能だったのです。

そして、今日に及んでも尚深く潜在化して抜け出ることの出来ない国家の都合による男性中心の身分制・家制度に縛られた社会で、女性は三従の教えたる「家にあっては父に従い、嫁しては夫に従い、老いては子に従い」の思考や体質から日本国家社会は脱却していません。

 儒教・武士道が女性の自活力を退化させ、苦しめた国家、男性に都合の良い教えであり、今日ではノマドジー社会に弊害であるばかりか、その思想を美化したり、ノスタルジー(懐旧の念)に慕って唱え、見識者ぶる女性蔑視な人は少なくありませんが、時代に合わない日本国国家感のガラパゴス化を招いているのです。

 昨今、離婚率が高くなったと言われるも、平成十八年は2.02%ですが、明治十六年の調査では、離婚率は3.39%だったとのことですから「生涯を伴侶と添い遂げるもの」との観念は今日以上に希薄だったと言えます。

 国家による富国強兵策が掲げられるようになると、結婚は「習慣」から「制度」へと変わりました。

 国家の制度によって、男性中心の一夫一婦制が始まると経済力を失った女性は妻になれなければ、妾か娼婦になることが生きる術となったのです。

 経済力を奪われた女性の自活力低下は選択肢の巾が狭められたのです。

 加えて、「処女」、「容姿のよさ」好みが女性の自活する選択肢を奪い、結婚相手次第によって人生が決まる時代となりました。

 アジヤ・太平洋戦争が始まると国家の都合によって、「産めよ増やせよ」と子を産むことが奨励されるようになったのです。

 敗戦後の新憲法によって、男女同権・平等社会を向かえて、再び、女性が経済力をもてる社会がスタートして、今日では見合い結婚(6.2%)から恋愛結婚(87.2%)様式へと推移しました。

 共働き世帯が21世紀になってからは、妻が無業の世帯数より多くなったのです。

 男女雇用機会均等法が改正されて、女性の社会進出が本格化して、女性が再び、自活力、経済力を持つようになりました。

 しかし、男性の社会意識や家庭での共同参画、役割意識は乏しく、女性が結婚のメリットを感じなくなったのです。

 そして、1992年<平成四年)のバブル経済の破綻以後の日本経済の不況は雇用形態を変えて、男性の非正規雇用労働者で賃金が低い不安定な経済状況の人が増加して、結婚して子供を養う自活力の低下を招きました。

 女性から言えば、男性の女性に対する家庭内の役割意識は変わることなく、経済力は低下したとなります。

 一方で、ノマドジー時代を迎えて、スエーデンでは現今の結婚制度によらないペアーによる非摘出子の割合が55.4%(日本は2%)となるほどに、男女間の社会は、再び、日本の万葉時代のような、やわらかく、ゆるやかにつながる心の絆・連帯の時代となりました。

 こうした時代に国家の都合による、夫婦別姓を認めない法律的結婚制度とその子供を“産めよ、増やせよ”と少子化対策を行なっても時代錯誤なのです。

 前回取り上げた如くに、非摘出子が多い国々は日本以上に人の住み易い社会環境にあります。

 以上より、何時消えるとも判らない日本国・国家の都合による従来型の家父長・身分・家制度や結婚制度による子供出産・子育ては、多くの男性、女性にとってノマドジー的意識改革のチャンス到来なのです。

 ノマドジー化する単身・無縁・公界・楽界の社会(「信天翁喫茶 入門 益荒男が茶の道」)はゆるやかにつながる心の絆・連帯が楽しい社会だと期待出来るのです。