信天翁喫茶記

   心のイケメンある自活力・・迫る単身社会・無縁社会・・ゆるやかにつながる心の絆・連帯がキー・・・5

    ・・不安の時代の自活力を育む・・

   「信天翁喫茶 入門 益荒男が茶の湯」(http://www.sophyrich.com/)

 個人と多数、不特定多数との関係を考える上で意味深いお話が、北山修精神科医九州大学教授)による最終講義「北山修 最後の授業」がNHK教育テレビで、この七月に放映されました。

 北山修と言えば、作詞家で学生時代にザ・フォーク・クルセダーズ(1965年)を結成して関西を中心に活躍したことでも知られた人物です。

 「帰ってきたヨッパライ」、「悲しくてやりきれない」、「戦争を知らない子供たち」、「あの素晴らしい愛をもう一度」などのヒット曲で知られ、日本レコード大賞作詞賞を受賞するほどで親しみと馴染みのある人は多いと思います。

 しかし、そのヒットメーカーが、ザ・フォーク・クルセダーズを一年で止めて、目の前の個人に伝えるライブとマスコミによって不特定の人達に伝わる、そのギャップを課題として、医学部に入学、精神科医・臨床心理療法家として、特定個人と心理分析によって向き合い、不特定多数・マスコミとの対極たる一人一人の『心の裏』を追求したのです。

 我が国のように個人が自活的判断力を発揮して判断するより、他の人たちに合わせようとする伝統があり、自分の判断や意見を持つ傾向の乏しい状況では、マスコミによる情報や映像によって思想・考えや行動に一面性が強くなっている現状があります。

 前回取り上げましたように、医師は、他の患者や不特定多数との関係とは異なって、一人の患者には特異な『心の裏』まで踏み込んで、患者による医師との「ゆるやかにつながる心の絆・連帯」による自活的な医療の選択してもらわなければなりません。

 私も医師として患者と向き合う時は、患者との目線を同じにして一人一人との『心の裏』までの「ゆるやかにつながる心の絆・連帯」を必要条件としています。

 私は医療以外でも、そうした『ゆるやかにつながる心の絆・連帯』を一人一人と『心の裏』までの関係を築くを何よりの楽しみとしています。

 信天翁喫茶・茶の湯のキーたる「主客直心・赤心の会話・人間関係」です。

 一人一人とのお互いがゆるやかにつながる心の連体・絆は、閉鎖社会でのお互いが強く結ばれたり、支配されたり、縛られた関係よりも自由で、自活的生き方が楽しめるのです。

 『独楽』は一人で楽しめるが独楽で、コマが「独楽」と書いて、一本立ちして回るに通ずるのです。

 単身・無縁社会は、それだけ独楽を楽しみ、自由に回れる選択肢を享受できるのです。

 再び、万葉の時代の自由でオオラカ、闊達な時代が来たと喜ばなければなりません。

 国ではない国家を保つために都合の良い、家父長制・家・家族との呪文から解き放されて、既に取り上げ、紹介したノマドジー社会の到来に楽しめる『ゆるやかにつながる心の絆・連帯』の人間関係の時代なのです(「信天翁喫茶 入門 益荒男が茶の道」)。

 人は生まれながらに自由・平等であり、健康で文化的な生活をする権利が保障されていますが、今日にあっての不公平は、武力・暴力による人の支配と生まれながらの家や経済力などによる生育環境の差にあります。

 無縁・単身社会は生まれながらに自由で平等な自活力発揮の社会の発展に貢献する可能性を秘めると私は思うのです。