信天翁喫茶記

心のイケメンある自活力・・迫りくる単身社会・無縁社会と自活力・・ゆるやかにつながる心の絆・連帯がキー・・・4

   ・・不安の時代の自活力を育む・・

     「信天翁喫茶 入門 益荒男が茶の道」(http://www.sophyrich.com/)

 信天翁喫茶は、裏千家茶道にある主客が向かい合い対座して親しく会話する点前の流し点前を大切にしていますが、そのレトロ・モダン的発展として風炉、火鉢や炉を取り巻いて車座となっての流し点前様式を基本とした喫茶によるゆるやかなにつながる心の絆・連帯を楽しんでいます。

 茶の湯喫茶では、四畳半以下の小間の茶室で集うような茶の湯の会に比して大規模な茶会の様式があります。

 大規模な茶会は秀吉による北野大茶会や醍醐の茶会が知られていますが、イベント性や社会的意図を持った権力、習俗性ある茶会と言えます。

 それぞれの茶会での個人と不特定多数の人間関係にあっての心の絆・連帯感には相違があります。


 私は医師ですので基本的には一対一の会による会話を基本としており、医師と患者との専門職的な立場と人間関係としてのゆるやかな心の絆・連帯を大切にしています。

 一方で、医師が一人の患者の医療を考える上では不特定多数の患者や患者であった人たちの医療の積み重ねが不可欠で、その積み重ねから成り立っているのです。

 医師と患者との関係は、喫茶・茶の湯での一対一や小間での流し点前を基本としていますが、大寄せの大規模茶会での関係も必要とします。

 ゆるやかな心の絆・連係がキーとなるのは、医師は患者との人間としてのお互いが人権的認め会い、尊重をした上で、目線を同じにした関係を基本とした自由な意思表示による会話を必要条件として、医師としての職業的な立場があるからです。

 患者は、患者自身の病気としての科学的事実に基づいた診断と治療法を選択する自活力を発揮するのがよいのです。

 一方、医師側は、専門職としての能力が求められた上で、患者側に公平な医療情報の開示・説明によって不安や疑問に答えることが必要となります。

 その医療情報の事実や解釈は、その患者自身に特有な病状や治療法を判定するに当たり、既存の医療的科学的事実と解釈を多くの人たちの科学的事実からの得られた統計的・経験的結果からの解釈的客観化が為されているのです。

 一人の医師の目の前の患者自身の病気判定は、他の多くの人たちの病気を基に、現状での医療的事実で、決して普遍的ではなく状況的事実・真理ですから患者と医師との個別の人間関係が影響します。

 医療では病気の解明や治療法の進歩次第によっては変わりますから、患者は絶対的とは言えない情報を知った上での診断・治療法の自活的選択権が重要なのです。

 医師は患者の病気・病状から選択すべき医療を優先順位をつけて説明する必要があり、患者は自活的選択権が求められるも、医師との人間関係もかかわることになります。

 それ故に、医療にあっての医師と患者の関係は因果律の必然的な決定ではなく、上下関係的な支配関係を超えた自由な意思表示が可能なゆるやかな心の絆・連帯が必要条件的意味を持つのです。

 単身・無縁社会であるかどうかは問題ではない、患者が一人の人間としての我が国の憲法で健康で文化的に生きる権利が保障されている健康権を自活力発揮できるのです。

 しかし、一方で患者側は、医師との職業的関係プラスとなるのですが、以前からの医師と患者との特定な関係があるかどうかは越えた、常なる一期一会の心ある関係でなければなりません。


 茶の湯・喫茶が流し点前のような個人性の強い会と、大勢の人たちが集団的意図を持って集う茶会の会とでそれぞれが人一人のゆるやかな心の絆・連帯のあり様があり、単身社会か無縁社会、結婚・家族・血縁社会であるかを越えて、医療の場合と同様であり、ノマドジーな自活力ある関係が求められるとなります。

 結婚・家族・血縁社会を根付かせたのは江戸時代以後の幕府体制維持のためのご都合によるのですが、グロースカル(grothcal,地球的視野の発展)には、レトロ・モダンな万葉時代の歌垣時代のゆるやかな心の絆・連帯が、今や再びの時代なのです。

 単身・無縁であるか、結婚・家族・血縁があるかどうかではなく、ゆるやかな心の絆・連帯感やお互いの自活性なき人間関係は幾ら人を取り囲めて群れていても満たされることのない不安に苛まれるのです。