信天翁喫茶記

心のイケメンある自活力・・岡倉天心の唱えた「野蛮国」とガンジーの「非暴力」は東洋の文明国たる「自在の自活力」

  ・・不安の時代の自活力を育む・・

   「信天翁喫茶 入門 益荒男が茶の道「(http://www.sophyrich.com/)

 前回に続く人の世が乗り越えるべき「非暴力」の「文明国」を話題とします。

 日本は、琉球国は明治期に沖縄県とすると極秘の内に処分を決め、常備軍は持っていない国に、その派遣理由を言わずにおよそ四百人の兵士と百六十人の警察官を率いて首里城に侵入したのです。

 琉球国は海洋交易型の小国家として平和な国として成り立たせていたのです。

 中華思想による「文化」、「徳」と「交易」による朝貢外交関係を基本として小国も平和が保てたのです。

 我が国も、「天皇」、「日本国」は唐による承認を国際的認知のスタートとし、「日本国王」たる足利義満による明との勘合貿易朝貢外交関係として冊封(サクホウ)されていたのです。

 琉球国は、中国と同様に、秀吉、薩摩、家康や明治の日本に対しても同様の関係を築くを基本外交としていたのです。

 それにもかかわらず、我が国は西欧基準たる「万国公法」による不平等条約を改めるべく「非暴力的野蛮国」から「暴力的文明国」を目指したのです。

 その「暴力的文明国」の基本は、1648年以来のウエストファリア条約に基づく相互の領土の尊重、内政不干渉を原則としています。

 しかし、「主権国家」は、戦争、交戦権を持つことが「文明国」たる必要条件となっているのです。

 岡倉天心の「The Book of Tea, 茶の本」での英語での「非暴力的野蛮国」の叫びが、如何に東洋思想の文明性の尊さを理解してかを示すものです。

 西欧的文明国基準の軍事的威嚇や交戦権に対して、東洋的文化、徳、交易をキートする文明国基準の素晴らしさを唱えたのです。

 天心が東洋文化の源流性を求めたインドでは、ほぼ同時代にガンジーが身をもって、非暴力の国家を求めて大英帝国に抵抗していたのです。

 そして、日本の現在の憲法は、1648年以来の宗教的枠組みから脱するためのウエストファリヤ条約以来の西欧基準による文明国基準たる武力による威嚇、交戦権を否定した「非暴力文明国」としての歴史的人類文明基準と言えるのです。


 現在の西欧的文明国では、暴力性は文明基準なのです。

 吉浜智改の記録にある沖縄・久米島の戦闘での「沖縄民族」の「生き延びるのだ!!」、「自在せよ!!」の叫びは、今も重いのです(小森陽一「NHKテレビ 歴史は眠らない」)。

 既に取り上げました岡倉天心の「野蛮国」の宣言、ガンジーの名言「The weak can never foregive. Forgiveness is the attribute of the strong.」は非暴力の文明的な自活、自在への道となります。


 信天翁喫茶が、一碗の茶の集いに「ゆるやかにつながる心の絆・連帯」「自利利他円満でノマドジーな平和」をキーワードとする所以です(「信天翁喫茶 入門 益荒男が茶の道」。