信天翁喫茶・・異文化に心を開く・・

   ・・不安の時代の自活力・・

   「信天翁喫茶 入門 益荒男が茶の道」(http://www.sophyrich.com/)

最近、若者も日本人の内向き姿勢や内こもり思考が問題になります。

 リスク・危険を回避した安全思考との傾向があるからと言われている。

 少子高齢化傾向は続いており、益々、ジャック・アタリ(「21世紀の世紀」)で指摘されているノマド時代(遊牧的に世界を動き回る人たち)にあって、開かれた国際社会を移動して異文化に接触しながら、絶えず人間関係を広げながら生きようとの思考に逆行しているともいえます。

 ITの進歩によってメール、ツイッターtwitter)、SNS、スカイプなどの通信手段を介して絶えず友達や不特定多数の人たちとつながっているように思うのですが、マダマダ、言葉やリアルタイムの画像によるコミニケーションによる人間的な意思疎通にはなれていません。

 ITによる会話によって繋がっていると思っていても心のつながりは感じらない孤独感や満たされない関係は少なくありません。

 一方で、ITを用いることは拒否したり、疎遠であったり、習熟していない人たちも多いのです。

 つまりは、言葉による意思疎通・コミニケーション手段への親和度によって大きな差があり、お互いの意思が伝わりにくくなっています。

 技術革新や地球レベルの交流による時代の変転が早い時代にあって、世代間に加えて、そのコミュニケーション手段、方法による隔たり・ギャップが起こりやすくなっています。

 加えて、我が国の多くの人たちは、英語など外国語による国際社会での共通語を用いて会話することのできない、
言ってみれば、言語的鎖国状態にあります。

 それ故に、ITを介した不特定多数との関係は進んでいても、外国、異文化とは無関係の国内的日本語に限られていると言えます。

 逆に、外国に行ったりすることが減った内弁慶、井戸の中のカエル傾向を助長しています。

 しかし、我が国の衣食住での生活様式・スタイルでは、多くが外国由来の環境となっています。

 一方で、日本は諸外国とは異なった日本的文化の特殊性があると唱えるて自己正当化を主張されることは少なくありません。

 日本は特殊と唱える人たちが、日本の特異文化や歴史などに馴染んでいるかと思えば、そうとはいえません。

 逆に、外国語を駆逐して、国内外の人たちとの接触が多い人たちの方が日本特異や文化に精通しているように思います。

 異文化に接触することによって、日本的特色をよく理解している傾向にあるようです。

 つまり、異文化に接触することによって、異なった価値観や文化を知ることによって、より日本を意識するようになるといえます。

 異文化との違いを意識することが自活力を育むのです。

 そして、前回取り上げたように、違いが楽しみになるように「マッチ箱から飛び出す」のです。