信天翁喫茶記

  信天翁喫茶:鎮めの自活力・・「あなたは人を赦せますか」・大澤真幸THIKING 3号(左右社)から

    「信天翁喫茶 入門 益荒男が茶の道」(http://www.sophyrich.com/)

・・不安の時代の自活力を育む・・

 マハトマ ガンジーの「弱い人は許すことができません。 許すということは強さの証しなのです」の名言を取り上げてきましたが、今回の大澤真幸は、まさにその実践者・河野義行(オウムサリン事件で奥さんが意識不明の重体におちいったままでなくなり、サリンが撒かれたときの第一通報者であったが警察やマスコミに犯人扱いされて人権侵害を被った)との対談が掲載されています。

 被害者である河野さんはオウムの元信者を憎んでも恨んでもないと家の鍵を渡すほどに親しくしているのです。

 オウム真理教が「Aleph」と改称した人たちともAlphと言うラベルをはっての判断はせずに普通の人として接するとの基本スタンスを続けているのです。

 被害者・大野さんへの謝罪の言葉がほしいかどうかにたいしても、「結局ね、大事なのはその人の本当の心ですね。頭を下げて、ゴメンナサイと言えば、謝罪したことになるわけではない。本当の心はその人にしかわからない」と謝罪が本当か嘘かも判断する必要もない。誤ることで自分が楽になるなら誤ればよいとまで相手には、赦しの心にあるのです。

 そして、思想信条の自由の権利に対して、表現の自由も信教の自由もオウムやAlephであっても国民として平等に付与されている権利だとしています。
 つまり、オウムだからとかのラベルをはっての特別視はしないのです。

 それ故に、オウム真理教が特別だと憲法に書かなければならないと思想信条の自由の保障の大切さを説いているのです。

 
 幸福感について、お金や資産をもっていても不幸な人たちも多く、また、死ぬ時に持っていけるわけではなく、
死ぬ時に借金もなければ貯金もないところで気持ちよく死ねれば良いと拘りはありません。

 命は有限で短く、何時死ぬかも判らなく、「恨んでいる暇がない」とばかりに「一日一日、チャンと生きる」のがよいとしています。

 そして、自らが逮捕されたのは、当時の長野県警刑事部長の先走りであったにもかかわらず、部長のみならず刑事たちも含めて、当時長野県の公安委員の地位にあったが赦しているのです。


 河野さんと大澤さんとの対談は河野さんが御釈迦さんの再来ではないかと敬服です。


 「大澤真幸THINKING」は、毎回、社会で起こることの表に表れた現象の裏の基本、基準となるキーワードを認識しての判断基準を課題にしているのが素晴らしい。

 まさに、信天翁喫茶が求める、自活力を育成する貴重な雑誌です。

 次回は、もう一人の対談者・四宮啓との裁判員制度についてとします。