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信天翁喫茶:鎮めの自活力・・「益荒男」と「益荒雄」
「信天翁喫茶 入門 益荒男が茶の道」(http://www.sophyrich.com/)
・・不安の時代の自活力を育む・・
私の著書のタイトルは「信天翁喫茶 入門 益荒男が茶の道」としました。
「益荒男」として「益荒雄」、つまり「雄」とはせずに「男」としたのです。
私が受験時代には、旧制高校の寮歌を聴いたり歌いながら勉強に勤しんだものです。
志を持って“大学にはいるぞ”との心意気でした。
その代表が、旧制第一高等学校の寮歌・「鳴呼玉杯に花うけて」として有名な作詞・矢野勘治、作曲・楠正一の曲です。
その歌詩の中で二番で「益荒雄」がでてきます。
その部分を紹介します。
「芙蓉の雪の精をとり
芳野の花の香を奪ひ
清き心の益荒雄が
剣と筆とをとり持ちて
一たび起たば何事か
人生の偉業成らざらん」
・「雄」の字には、私には似合わないような、強くて勇ましいとか、優れているとの意味合いが含まれているように感じるのです。
・「剣と筆とをとり持ちて」とありますが、「筆」には愛着を持ちますが、「剣」には抵抗があるのです。
「剣」には、イザトなれば、人を殺すための武力的な力の行使を思わせます。
つまり、「益荒雄」には、非暴力的な「筆」のみならず、暴力的武力行使の象徴としての「剣」を感じてしまうのです。
鶴見俊輔的に言えば「アレヤコレヤの理由をつけて人を殺す理由」となるからです。
それ故に、信天翁喫茶が志す「鎮めの自活力」を育むには「益荒男」が相応しいのです。