信天翁喫茶記

 信天翁喫茶的ワビ・サビの自活力ある生き方・・自分の考え・意見を持つ!!

  「信天翁喫茶 入門 益荒男が茶の道」(http://www.sophyrich.com/)

・・不安の時代の自活力を育む・・

  龍馬の時代の攘夷、攘夷と叫ぶ姿は、一人一人が考えて自分の考え・意見を持って言っているように思えません。

 我が国の現状も、ヒラメ体質と言われるように、多くの人たちが右に倣えとばかりに一人一人があまり考えることなく同様の方向を向く傾向が続いていると言えます。

 こうした体質は、江戸時代からの多様な価値観を認めない体制が続いたことにあると思います。

 そもそも徳川幕府とは、日本国家の家元制なのです。

 今日的に言えば、国家の私物化と言えます。

 その体制を社会の隅々にまで定着させるために、士農工商身分制度の固定化をしたのです。

 宗教の世界も、本願寺は東西に二分され、大徳寺は、言ってみれば沢庵和尚の抵抗も家光に抱え込まれて終わりました。

 そして、今日も残る諸芸にあっては元禄時代に家元制を発足させました。

 茶の湯の世界での家元制の制定も元禄時代であり、利休や宗旦の時代では、マダ発足していなかったのです。

 有名な茶書「南方録」は利休の死しんでからの百年以で、元禄時代の家元制発足直前の利休的茶の湯の書と言えます。

 その他の家元もそうした徳川家元制国家維持をするためを背景としての発足と言えます。

 つまり、社会の隅々まで体制維持に都合の良い体制を引いたのです。

 坂本龍馬で言えば、武士でも下士と言われて上士の下にされたのは、徳川時代に着任した初代土佐藩主・山内一豊以前の藩主に仕えていたからです。

 こうしたヒラメ体質が、太平洋戦争への突入を許し、今だ、誰が悲惨な敗戦の責任者であるかをはっきりさせていません。

 今日にあっての教育体質も、幼児教育に始まり、社会にでてからの会社教育まで画一的なヒラメ体質を育成するように行なわれています。

 教育が、教えてもらうために授業を聴くことに重点があり、質問や意見を交換する討論、議論による多様性を大切にする姿勢にはありません。

 つまり、先生による知識の伝授を記憶することに重点があり、違った考えや意見を言ったり、行なったりしない従順な姿勢を評価する体質にあります。

 以上のような日本の社会体質は、現在も根深く、皆一緒が安心、寄れば大樹の陰としての言動が多く、一人一人が自ら考え、自分の意見を持ったり、発言しながら議論する自活力を大切とはしていません。

 現代は、幕末に比したら比較にならないほどのダイナミック・動的な変化が起こっています。

 何時までも、日本は特別な伝統があるからと日本の特殊性をヨリドコロとした“独善”体質は続けておられません。

 今や我が国の国民一人あたりが抱える負債は、アメリカでも100%/GDPなのに、240%/GDPと破綻寸前にあります。

 それでも、教育体質のみならず、補助金補助金と自活力を奪うような体質を助長する国策が行なわれています。

 それ故に、信天翁喫茶は、一人一人の自活力が育まれるように、ヒラメ体質の助長ではなく、個性をお互いに見つけられるような集いや会話を何よりも大切にしているのです。

 現代的な言い方をすれば、「言論の自由」と「価値観による選択の自由」を育成すような麁相(ソソウ)の心の育みです。