信天翁喫茶記
信天翁的ワビ・サビの自活力ある生き方・・龍馬伝(4月18日)を観て
「信天翁喫茶 入門 益荒男が茶の道」(http://www.sophyrich.com/)
・・不安の時代の自活力を育む・・
NHK大河ドラマ「龍馬伝」(4月18日)では、坂本龍馬と武市半平太のそれぞれが別別に勝海舟と会う時の会話が面白かった。
龍馬は、タダ、攘夷、攘夷といっていても、黒船を見て・観て以来、日本の将来は成り立たないとハッキリ認識して、脱藩をして、幕府だ、土佐だ、長州だと言った発想は超えて、既に日本人となっています。
そして、身分・階級性についても、自分が下士であることから、その矛盾を感じて、自分自身が饅頭屋であろうと区別することなく目線を同じにして考え、会話する姿勢となっています。
一方の武市半平太は、攘夷、攘夷や勤王、勤王と唱えてはいるが、土佐藩とそれに連なる身分・階層性の秩序を越えた発想をしていません。
それは、江戸城での廊下に座しての三条実美との会話に表れているように、幕府に対しても既成概念的発想から離脱していないと判ります。
自分自身が身分・階層制の悔しい思いする被害者でありながら、身分が下の人たちへの蔑視の姿勢を持っています。
今回の勝海舟邸にいた土佐の饅頭屋だった近藤長次郎に対して、龍馬は既に同一目線で会話しているのですが、武市は“饅頭屋の分際で!”と蔑視をしています。
こうした武市的体質と目線の人は、今日でも決して少なくありません。
龍馬は黒船を見て、長次郎は勉強を教えてくれた先生や龍馬たちと会話や現実からの知識から、海舟はアメリカに行くことなどにより日本や人間とはを知り、三人は現実に起こっていることや将来について、既成の体制や概念からは開放されて自由に考え、議論する体質になっています。
もし、龍馬ら三人が現在の日本や世界の情勢に直面したら、日本国家や日本人の概念、在り様については、既に
言っていたような、日本だ、日本人だとの発想からは離脱して、地球人としての発想をしていると思います。
少なくとも「21世紀の世界」〈ジャック・アタリ著)や「世界を知る力」(寺島実郎)のような思考・志向や議論をしていると思います。
国の在り様、国際情勢や武力・戦争の意味は、龍馬や海舟時代とは大きく変わってしまっています。
そうした国際状況がドンドン変わっているにもかかわらず、我が国は今も続く開かれたとはいえない閉ざされた精神構造を持った攘夷体質が続いているのです。
龍馬のように自分自身の目線を持って考える自活力をもった生き方をしなければ、再び、ヒステリックな攘夷、攘夷と叫びかねない日本国、日本人になりかねません。