信天翁喫茶記

  信天翁喫茶的ワビ・サビの自活力ある生き方・・西行法師

 「信天翁喫茶 入門 益荒男が茶の道」(http://www.sophyrich.com/)

・・不安の時代の自活力を育む・・

 信天翁喫茶のワビ・サビの心に適う自活力ある生き方をした人として、まず、平安末期から鎌倉時代にかけての僧・歌人西行法師を上げたいと思います。

 西行は、北面の武士であったが23歳で出家しています。

 その理由はいろいろ話題となっていますが、親しかった友の死を契機としていると考えられています。

 西行は諸国を行脚して草庵を構えて隠遁的な生涯を過したと考えられていますが、和歌を詠って、信天翁喫茶に適う自活力ある人としての必要条件とする「鎮めの心」と「否俗ではなく非俗の心」を大切とした歌人で和歌の世界にワビ・サビの原点となる新風を築いた人物であったと思います。

 今日の冷泉家に連なる新古今和歌集の編集者・藤原定家が評価した「願わくは花の下にて春死なん その如月の望月のころ」と西行は詠い、その願いが適って入寂・寂滅したことでも知られています。

 西行法師は、歌人として閑寂の美を詠う実験的な新風歌人として藤原俊成(千載集)から藤原定家新古今集)への流れを生み出した歌人としての評価がなされているのです。

 西行時代はワビ・サビの茶の湯はうまれていませんが、室町時代末期・応仁文明の乱時代のワビ茶の始祖・村田珠光は「冷え枯れる」和歌の心を和漢の界を紛らかすワビ茶の原点としています。

 続いたワビ・サビの茶の湯の始祖・竹野紹鷗は歌人として藤原定家の「詠歌大概の序」の皆伝を受けるほどの歌人で、ワビ・サビの喫茶・茶の湯の始祖として和風化を積極的に進めて、歴史的に床に飾る掛け物は唐物が用いられていたのですが、竹野紹鷗によって定家色紙を掲げたことによって和風化が決定的となったのです。

 つまりは、ワビ・サビの心は和歌の心であり、西行が先導したとなります。

 日本文化・和歌は、万葉時代は漢字で表現されていましたが藤原道長以来の日本的優美さが漂うひらがなで表現されるようになっていました。

 閑寂・雅趣です

 既に取り上げましたが、ワビ・サビは「正直で慎み深く、おごることのない閑寂心・・こころをみやびやかに静かに持つ風流の趣ある・・」の心を言いますが、まさに、西行法師の心です。

 西行法師は、単に世をはかなんで引きこもっていたのではなく、鎮め思考・志向で自ら削ぎ落とした非俗の心で和歌の世界に新風を吹き込み、和歌の心が原点にある日常茶飯の生活文化たるワビ・サビの心を詠うほどの自活力ある生き方をした偉人と言えます。