信天翁喫茶記

  不安の時代の生活文化・・5・・「信天翁喫茶 入門 益荒男が茶の道」(山中直樹著、http://www.sophyrich.com/

「鎮めの文化」は日常茶飯のワビ・サビ文化・2


 昨日(3月18日)のNHKテレビのクローズアップ現代で若者の買い物思考や生活スタイルについて取り上げていました。

 過ってバブル時代までのようなブランド思考や画一的な流行スタイルのファッションを追い求めるのではなく、だからといってタダ単に安いものを買うわけでもないのです。

 また、多くの人たちが自動車をほしがったり、スキー場に行きたがるのでもないのです。

 一方で、音楽に興味のある若者はCDを買いあさり、好きな楽器のレッスンに多くのお金を使うと言うのです。

 つまりは、従来のように、海外旅行でブランド店に群がり、モデルチェンジした車に買い替え、スキー場でファッションを競うような「煽り」に群がる時代は終わってしまっているのです。

 それぞれが、商業的な「煽り」に惑わされることはなくなり、自らの好み、思考による選択を大切にしているのです。

 若者たちが、「煽り」に踊らされることなく、自分流の「鎮め」の思考になっているのです。

 それぞれの若者が「価値観による選択の自由」の権利の実行をしているのです。

 それ故に、スノーボードのオリンピックの国分選手のように、スノーボードの世界でのファッションスタイルが当たり前になっているのです。

 大相撲で言えば、オオイチョウに浴衣姿で町を歩くのと違いはないのです。

 そこに、日頃、あまり馴染みのない品格、国の代表、伝統を持ち出して印象、情緒的批判をしても、お互いの違和感、不信感、ギャップが生まれるだけだと思うのです。

 品格、国の代表、伝統といっても、それぞれの意味をハッキリさせて話し合う必要があるのです。

 相撲界の伝統があるように、スノーボード界の伝統もあるのです。

  若者の生活スタイルが、従来のように、皆が同じようにと競う時代ではないと理解しなければならないのです。


 ワビ・サビの文化は、「煽る」文化ではなく、「鎮め」のそれぞれの「価値観による選択」の心を大切としてきました。

 茶道具の茶碗などの“名品”と称する商品に群がるのは「ワビ・サビ」界とは別世界の「煽り」なのです。

 サビの心は、「雅趣」の心をキーとします。

 つまり、ワビ・サビの心たる「鎮めの心」は、万葉の時代からの和歌の美意識としての「慎み深さとみやびな心」が脈々と続く日本の心なのです。

 慎み深さに「雅趣」ある日常茶飯を大切にしようではありませんか。

 「鎮め」の心があってこそ「雅趣」が微笑ましく、奥ゆかしく漂うと思うのです。