信天翁喫茶記

  不安の時代の生活文化・・4・・「信天翁喫茶 入門 益荒男が茶の道」(山中直樹、http://www.sophyrich.com/)

  「鎮めの文化」は日常茶飯のワビ・サビの茶の湯文化・1

 
  喫茶・茶の湯がワビ・サビの文化として萌芽し、発展したのは、応仁・文明の乱から戦国、安土・桃山時代にかけての下克上の時代です。

  世の中が乱れ、相互不信と不安が高まった時代だったのです。

  そうした時代に、ワビの心は、和歌の心たる「冷え枯れるこころ」、「足らざるに満足し、慎み深く行動するこころ」にあるとされています。

  禅語的に言えば「吾唯足知」(吾タダタルヲ知ル」にあると思います。

  言ってみれば、過ってよく歌われた「ボロは着てても心は錦・・」の心です。

  芸術家・赤瀬川原平的に言えば(「千利休 無言の前衛」、「芸術原論」)、西欧的な「プラス思考、正の思考」に対して「マイナス思考、負の思考」です。

  西欧的な「煽り思考」に対して東洋的な「鎮めの思考」です。

  現代は、子供の時代から偏差値による判定、社会人や会社等では「勝ち組」、「負け組」と言われて煽られています。

 しかし、偏差値や勝ち・負け組の判定は、社会的風潮による限られた条件での判定に過ぎないとの理解ではなく、全人格的な判定が為されたと思い込む人は少なくありません。

 会社がつぶれたためや首になったために、今までとは異なった自分の道を開くことが出来ます。

 東京大学に入学できなければ、ハーバード大学があるさとか、小説家の道があるさといったような、自分の価値観による自分の人生の道を選択すれば良いのです。

 現代は、人生いろいろであり、何も、高校や大学へ行くことが良いことだと思い込む必要はないのです。

 自主的であれ、他主的であれ、何が良くて、何が悪いかは決め付けない方が良いのです。

 つまりは、高校や大学に行かなかったり、会社がつぶれたりしたために、「心は錦」への道が開かれているのです。

 世の中の変転が目まぐるしくなり、如何なることに直面しようが、「自活力」のこころだけは失ってはなりません。

 今や、地球レベルで、煽り思想ではどうにもならない問題で、不安な時代となってしまったのです。

 次回には、今や、鎮めの思考、思想の大切さについて考えて見ます。