信天翁喫茶の話題・・俯瞰思考:命の大切さ

 NHKの大河ドラマ・龍馬で命の大切さを話題としていました。
 大義か小異をめぐって、命を如何にとなり、今日的課題でもあります。
 人間が人の命を奪うことの正当化は、歴史的に、権力を持つ側の特権として現代も続いています。

 今回も、武市半平太は権力側の要求に対して、自分の子分の命を、大義の前に犠牲にするとの姿勢でした。
 それに対して、歴史的事実かどうかは知りませんが、龍馬が逃がすとのストーリーでした。
 しかし、歴史的には、その時生き延びた琢磨少年は函館でロシア正教のニコライ神父と接して、武士を自らすて、日本最初の司祭として現在も御茶ノ水にあるニコライ堂の設立に尽力して、八十歳の人生を全うしたのです。
 もし、切腹させられていたら、そうした人生は断ち切られていたことになります。

 今日、権力による人間の死を正当化するのは、死刑と戦争です。
 一方、我が国の平和憲法は、紛争解決に武力を用いるないことを宣言しています。
 そして、個人的には、健康で文化的に生きることを権利として保障して認めているのです。
 つまりは、人間一人一人が生きる権利を保障されていることになりますから、権力は人の命を奪う権利持っていないことになるのです。
 以上の事実を受け止めながらNHKの龍馬を観ると、俯瞰的なストーリーになっていると思います。

 岡倉天心が、「茶の本」で訴えているように、殺戮による文明国になるよりは、平和な文芸を大切とする国の方が文明国だと認められるまでは野蛮国でいようだとしてます。
 信天翁喫茶は、そこをキーとするのです。