オタピー茶の湯; 日常茶飯の「こころ」・・81

 俯瞰思考; 価値性の幻想; ハイカルチャー、ポップ、キッチュサブカルチャーとの世界を紛らかす・・39

  レトロモダン(Retro Modern)及びネオテニーイズム(Neotenyism)の光と陰; 日本の混沌・・2


  我が国は、個人個人が自立したアイデンティティーを持って自己判断、意思表示、自由で直接的な議論をすることに慣れていない環境に育った人たちが大多数を占めている体質にあります。

  21世紀を向かえて、IT技術を用いたコミュニケーション法が普及して、日常茶飯となっている人たちが若者を始めとして、ドンドン増えています。

  携帯やパソコンなくして一日も過せないほどの人たちが多くなっている一方で、そうしたIT技術利用とは依然として無関係に暮らしている人たちも少なくありません。

  そして、国際環境はグローバルな変化をとげて、地球上の何処かで起こっていることが、日常の生活に無関係ではなくなりました。

  しかし、我が国内の多くの人たちや社会の人たちは、そうした国内的、国際的な出来事や変化にわが身への問題として対応できているとは言えません。

  つまりは、今だ、社会的な鎖国状態のみならず、言語学的な鎖国状態が続いている精神状態と言えます。

  そして、国内の社会構造や官僚機構、政治、経済などまでも、まだまだ、内向きで、世界に向かって体制的、思考的、精神的にも開かれた目線での日常茶飯の言動にあるとはいえません。

 例えば、世界が食料不足で飢餓に苦しんでいる状況に、国内では、コメ生産をやめれば、補助金が出され、農耕地が荒れると嘆いています。

 そして、コメ生産を上げようと言えば、“米価額が暴落する”と古参の議員が唱えます。

  米価額は、未だに、国による買い上げによってコントロールされている体質が残っていますから暴落とはならず、輸出に向けたり、飢餓に苦しむ人たちを助けるように援助に廻せば喜ばれるではありませんか。

  そして、日本の農業は過保護状態と閉鎖性体質では弱くなるだけの状況にあります。

  日本の農業技術は、国際競争力を持つ能力は十分あるとの認識から始める必要があるのです。


  教育は、明治以来の知識吸収型で、記憶偏重型の学習優先の体質が続いています。

  教育の基本が、それぞれの個性と能力を見出し、育成するために如何なる勉強が必要かとの視点による、実際に生きた知識や能力を身に付けるための姿勢が乏しいと言えます。

  個人の思考や才能を生かそうとするより、お決まり様式的な塾的、受験対策的なエレベータに乗せんとの詰め込み方式による知識の一時的な増加に勤しみ、“教育熱心”な親の意向に沿わんとしているようです。

  そして、先進国と言い難いような歴史的事実と神話などの創作的事実が混在した日本史教育が行われています。

  言ってみれば、国際的基準で言う歴史を学んでいるとは言えないことになっています。

  ほとんどの国民が、天皇が実在したのは何時の誰からかは意識しない状況にあり、聖徳太子の歴史的実在性が問題なのにもかかわらずに流布しています。

  そして、大部分が明治以後に制定されたり、作られた課題を、古からの日本の伝統と事実と虚像と区別した議論は不可能な状況が続いています。

  そうした、事実と創作とが混合した状況に、時に、外国や外国人に伝統、伝統と独善的・一面的といえる情緒的な反応をします。


  一方で、小子化社会を迎えた国は衰退をたどると判っているにもかかわらず、人材確保をめぐっては、国際的に開かれているとは言えません。

  地球上では、民主主義以外のルールや制度、宗教、民族、貧富などの差による我が国や先進国とは異なった国、地域や社会機構の集団とは異質の存在に、我が国はコミュニケーションや相互の意思や立場を理解した上での関係を築こうとの姿勢は乏しいと思います。


  私は、柔道、相撲道などでは、過去に雁字搦めとなって、古きに学び、自由な作意による創造的造成に乏しいと思っています。

  例えば、柔道や相撲道などの試合は、現在では、外国人にとってではなくともスポーツであって、試合は、ルールに従った勝敗が問題なのです。

  試合に必要なルールはマナーも含めて定められており、勝敗は判定されることになります。

  それぞれの個人やお国柄は出るにしろ、それ以外のことは問題にする必要はありません。

  そもそもが、人の人格をトヤカク言えるほどの人がそんなにいるでしょうか。

  スポーツはスポーツであり、道や興行が混同しては、外国人ならずとも、理解不能と言えます。

  それ故に、柔道にとってのオリンピックでの勘違いとなり、相撲にとっては、朝青龍の悲劇があると言えます。

  日本のプロ野球チームのオリンピックにとっての惨敗は、日本流プロ野球道による勘違いがあると思います。

  日本流野球でのボールやストライクゾーンが、アメリカを中心とするルールとは異なっていることは、既に、前々から判っていることです。

  まずもって、少々、ボールのサイズやストライクゾーンが変わっても、プロフェッショナルで金メダル以外はイラナイトと言うほどの豪語・宣言するならば、野球道的精神から言っても勘違いによるお粗末と思えてきます。

  ゴルフで言えば、過って、ボールのサイズがアメリカなどで用いられていたボールより小さかったのですが、USオープンに出場して、ボールが大きいから負けたと言っているように思えてなりません。

  加えて、野球や柔道などスポーツで、監督やコーチなどが、選手や生徒に向かってハッスル言葉遣いのワルサには目を顰め炊くなります。

 まずもって、相手は人間であり、それぞれの個性をのばそうとするより、独善を根性がらみで押し付けているようです。

 国際大会での情けない結果に終わらないためには、才能と個性ある人材の発掘法から始める必要があるレベルだと思います。

 少なくとも、国際感覚に乏しいボス支配から改める必要がある段階に思えてなりません。

 野球でも、厳しい試練の場を求めて、若者がアメリカで始めたければ、激励すればいいではありませんか。

 今時に、東大を卒業してから、ハーバード大学に行けと抑圧しているようなことです。

 相撲界でも、今や、外国人の参入なくしては立ち行けないほどの現実に、国内の若者が意欲して入ろうとしていないのは何故かと考えることがまず求められていると思います。

 『道』と言いながら『興行』による不明朗さが介入しているのではと勘繰りたくなります。

 プロスポーツの世界では、『道』、『道』と言う前に、スポーツとしての成り立ちを明瞭で、判り易くする必要があります。

 朝青龍が負けたり、優勝しなければ、“稽古が足りない”と解説されるのを良く聞きますが、それでは、国産大関は “角番大関時代”が長く続いていますが、“稽古十分でも弱いのか”と聞いてみたくもなります。

 『道』と『興行』による、阿吽の日本的“八勝”をお互いに譲り合っているのではと勘繰りたくもなります。


 過去の因習や体質に雁字搦めになりながら、“オタク・モエとヤオイ”的な拘りを執ようで偏狭に持ち出して、トドノツマリは、国内の意欲ある若者や外国人を抑圧している事実は、『レトロモダン』と『ネオテニーイズム』の“影”ならぬ「陰」だと思うのです。

 今回は、書いている自分が虚しくなってきました。


  (楽天、ミクシイでは、『低コレステロール血症を改善する元祖・・198・・Dr.ビュートのThe アスクレペイオン;ベスト チョイス ガイド: テイラーメイド栄養・食餌療法(Tailor-Made Dietetics)・・39 ダイエットのハウツーを知っておこう!!・・25・・国際的な評価ナンバーワンのダイエット法;低炭水化物、カロリー・蛋白質・脂肪摂取制限無し・二年間におよぶ低炭水化物食、地中海食及び低脂肪食ダイエット法の優劣比較・・2を話題とします)

 (Dr.BEAUT・ソフィーリッチでは、『メタボリックシンドロームは、酸化ストレス・慢性炎症・・15・・「酸化ストレス・慢性炎症」が動脈硬化性疾患の血管病変の基・・15・・脂肪細胞・組織と酸化ストレス・慢性炎症・・9』を話題とします)

 (Googleでは、『オタピーラプソディー;『脳力』は『健康力』を・・5・・「健康力」の常識は変わっている・・4・・『メタボの罠ー「病人」のされる健康な人々』(大櫛陽一著、角川SSC新書〉』を話題とします)

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