オタピー茶の湯; 日常茶飯の「こころ」・・78

 俯瞰思考; 価値性の幻想; ハイカルチャー、ポップ、キッチュサブカルチャーとの世界を紛らかす・・36

 自殺は死の絶対的一回性への時間的選択肢か;平野啓一郎作『決壊』


 私は、若き天才小説家・平野啓一郎の作品には何時も考えさせられ、教えられます。

 今回の長編小説『決壊』は、現代社会の多様な人間関係を基に、個々の人たちの「こころ」を描きだしているのです。

 マサニ、日常茶飯的な人たちが抱え、遭遇し、陥っている課題、不安、苦悩を内包しており、生き方を考えさせられます。

 多くの人たちが無関係ではないと一読を望みたいと思います。


 私は、そうした人たちや社会的課題を介して描かれている人たちの多様な生き方、死に方と時間との関係に注目です。

 日本文化の特徴は、一回性と移ろいの美意識に命があると思っています。

 井伊直弼の『茶の湯一会集』にある「一期一会」、「余情残心」の「こころ」は茶の湯が内包する人間関係の生きる「絆、信頼」に基づく生き方、死に方を示す境地だと思います。


 平野啓一郎作品は、「生と死、時間、存在とは」が常にキーとなっていると思いますし、それ故に我が命の在り様を考えさせられます。

 「死の絶対的一回性に対して、生は時間に対して一回性の緊張と輝き」を私は、座右の銘としています。

 「生は時間に対して一回性の緊張と輝き」ゆえに、人それぞれの「価値観による選択の自由」があり、そこに「多様性」が発生する必然性があります。

 一方、「死の絶対的一回性」には、一回性の個人による選択の不可避性と可能性があると言えます。

 「時間に対して死の絶対的一回性」の個人による選択を可能にするのが「自殺」だと思います。


 私が、『決壊』で一番の注目は、最終章の八章“permanent fatal errors”です。

 そして、登場人物では、沢野崇です。

 理性や知性、「こころ」と人間の死、発生と生育、健康主義と幸福主義と善性、病の不可抗力と「自殺」への選択肢を考えられさせられます。

 沢野崇は、理性と知性の人です。


 沢野崇は、最後に「自殺」を選択しますが、私は、その選択はして欲しくはなかったと残念です。

 小説・『決壊』の最後の最後は沢野崇の「自殺」を暗示するシーンが叙情的、心情的な美しい文章となっています。

 そこで、沢野崇は、偶発的か意志的な死の選択をしたのか、あるいは、「病の不可抗力」に基づくものかと私は「余情残心」です。

 理性、知性は、心霊的な「こころ」をコントロールできないのか、或いは、「病の不可抗力」には止むおえざるなのか。

 少なくとも、沢野崇は意欲して自己決定した「自殺」の選択をしたようには思えないのです。

 
 『決壊』にあって、複数の人たちそれぞれによる多様な死の必然性としての「自殺」による選択法に注目するのは、「死の絶対的一回性」なるがゆえだと言えます。

 現代は、「愛」が人の「死」に対して無力化してきたのだと思えてきます。


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