オタピー茶の湯; 日常茶飯の「こころ」・・58

 俯瞰思考; 価値性の幻想; ハイカルチャー、ポップ、キッチュサブカルチャーの界を紛らかす・・16

 オタピー日常茶飯・・侘び、寂びの「こころ」・4・負の思想と茶室


 侘び・寂びの茶の湯に、わが国の負の思想につながる縮小文化が伝統的にあります。

 建築、庭園や庭にも認められます。

 建築では、茶室に、侘び・寂びと密接に関連する、その典型があります。

 利休によると伝わる国宝の茶室・待庵は、二畳の茶室であり、織田有楽による国宝の茶室・如庵は、二畳半台目の大きさです。

 表千家不審菴には、一畳半の茶室が作られたのですが、秀吉が狭すぎると嫌ったために二畳の茶室に改められたと伝わります。

 裏千家今日庵では、宗旦による一畳半の利休の創案を再現したのです。

 利休は、一畳半の茶室に三人による一坐建立を志向したと言うのです。

 つまりは、極小の必要不可欠な空間にまで絞り込んだ削ぎ落としの「空」にての人の会を求めたのです。

 
 しかし、わが国の建築的な歴史の中で、極小空間の茶室、庵の思考が発生・発展したのは、侘びの茶が創生・発展・完成した安土桃山の時代までの限られた時期の特異と言えるのです。

 つまり、純なる創生たる侘びの茶のシンボルとして、草庵の極小茶室があるとなります。

 負の思想が、一坐の一会の象徴の場としての草庵の茶室に込められたと言えます。

 山上宗二や利休の死によって、アートや精神文化性よりは、今日に、その体質が連動する権力や裕福層による内向き閉鎖性に結びつく遊芸性や骨董趣味的な思考が優先されるようになってしまったようです。

 利休死後の茶の湯の主流が、武士流と裕福な町人の庶民文化流、及び、近衛家に象徴される公家好みに移ってしまったことにあると思います。

 茶の湯が、習俗性優先を強くしたと言えます。

 侘び・寂びの文化性よりは、家元制の誕生と職芸家による様式化と形骸化が始まり、優先されるようになってしまったのです。

 文化的創造性、精神性の追求は、二の次となり、表面的となってしまった残念な状況となってしまいました。

 茶の湯の思想性が、再び、浮かび上がったのは、幕末の大老井伊直弼、日本文化の価値性を知る岡倉天心、哲学者・谷川徹三らによる貢献を待つことになります。

 幸いにして、今日にあっても、侘び・寂びとは言っても、ただ、何となく、息づく、日本人の感性となってると言えます。

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