オタピー茶の湯; 日常茶飯の「こころ」・・35

  オタピー茶の湯は日本のグローカル文化; ハイカルチャー、ポップ、キッチュサブカルチャーの界を紛らかす・・35

 会所の喫茶・茶の湯・・4・・足利義教

 足利義教(1393〜1441年)は、足利六代将軍で、三代目・義満の四男で、仏門に入ったのですが、後継の都合にて、環俗して将軍となったのです。

 政治的には、武断政治、恐怖政治と言われて、比叡山を焼いたりするほどの激しい姿勢をとったのです。

 自らも、家臣の赤松満裕に殺されて、下克上による足利幕府瓦解を早めてしまいました。

 文化的には、和漢兼帯、和魂漢才と言われる和漢文化の実践・促進者と言えます。

 仏門にあっては、天台座主となったのですが、禅宗文化の喫茶文化を好みました。

 この時代は、会所の喫茶として、日明貿易によって蓄積された絵画や美術品、喫茶の道具など唐物の飾りつけ文化が発達しました。

 今日に残る会所の喫茶様式の資料は、この時代を中心としているのです。

 後の八代将軍・義政時代に発芽する『侘びの茶』に対して、『書院台子の茶』と言われる喫茶文化の発展した時代と言えます。

 義教は、義満による花御所・室町殿の後に新御所を建造して、会所を三棟も建て、能阿弥に代表される半僧半俗の同朋衆が活躍して、会所での喫茶の飾りつけ様式や茶礼の茶法の発展、完成をさせたと伝わるほどです。

 義教による室町殿の会所には、茶湯所、御茶湯所が設けられ、茶湯棚、台子、囲炉裏が認められます。

 付書院では、押板、床が設けられています。

 茶湯所では、違棚に点茶が行われるような点前道具が置かれていたのです。

 また、台子は、飾棚と同様な意味での点前道具を仕組んだ、移動可能な棚のような調度品と考えられています。

 しかし、台子が点茶用の棚として用いられ始めるのも、侘び茶が最初と言われています。

 茶湯所は、客人に茶を呈する時に用いられた部屋として、茶道具が、室礼として飾られていたもので、実際に,客前での点前を行う部屋としては用いられたはいませんでした。

 別室の茶点所で点てられて、客人に呈せられていたのです。

 主客同座の喫茶様式は、囲炉裏のあるプライベート空間と言えども、珠光の出現を待つことになるのです。

 義教の先導した時代は、貴族中心の文化に対して、中間層出身の文化人・同朋衆の活躍による和風化が促されたのですが、喫茶文化としては、いわゆる、侘びの茶に対して、今日では、高貴性ある茶法として伝わっていると言えます。

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