オタピー茶の湯; 日常茶飯の「こころ」・・33
オタピー茶の湯は日本のグローカル文化; ハイカルチャー、ポップ、キッチュ、サブカルチャーの界を紛らかす・・33
足利義満(1358〜1408年)は、南北朝時代を収束させた足利三大将軍。
足利将軍の全盛期を築き、金閣寺で知られる北山山荘を中心に北山文化時代と言われます。
北山文化は、宋元の舶来文化と伝統文化と共に和風文化が発展・展開した文化時代ともなりました。
和漢の交流、今日で言えば、国際交流が盛んに行われ、和文化の創生が成されたのです。
義満は花御所と称される室町殿を設けて、王朝貴族的な詩歌管弦を楽しんだが、一方で、世阿弥を可愛がって、能楽を大成させたのです。
世阿弥の能楽における「風姿花伝」を始めとする能楽の芸術論・精神は、金春禅竹、金春禅鳳と受け継がれて、茶の湯・わび茶の精神に大きな影響を与えています。
私は、山崎正和の劇作『世阿弥』(山崎正和著・世阿弥・新潮文庫、1974年)で知られる、義満と世阿弥との皮の張られていない鼓をめぐる緊張感ある感動的なやり取りで、世阿弥が打った、マサニ、『天鼓』の響きを義満が「聞こえた」と叫ぶ場面が忘れられません。
マサニ、究極の茶の湯に通ずる境地だと思います。
世阿弥の『習道書』で、バサラ大名・文化人・茶の湯を愛した佐々木道誉の話として、笛の名手・名生のアドリブが素晴らしかったと取り上げられています。
哲学者・谷川徹三は、藤舎推峰と名乗っていた現世の笛の名手に、名生の名を継ぐように勧めたのです。
私ごとになりますが、その2世・名生に、私は、NHKラジオ時代の笛吹き童子と上述の『天鼓』の響きの精神・場面に憧れて、横笛を師事したのです。
義満は、明との貿易を再開して、美術品、文化財を買い求めて収集したのです。
花御所、五山禅院には、宋・元時代の名品、絵画、書籍、調度品に満ちていたと言われます。
花御所には、公式の場の寝殿造りの寝殿とプライベートな書院造り様式の常御所や会所が設けられていたのです。
飲茶勝負の闘茶の会も、義満の時代が最盛期と言われるほど盛んで、背景には、茶園や喫茶の普及があるからです。
会所での喫茶は、接遇としての茶の湯の様式が定まってきた時代でもあるのです。
南北朝から室町期にかけての1390年前後までには、寄合いの場として、囲炉裏の座敷での「点て出し」が始まったと言えるのです。
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