オタピー茶の湯; 日常茶飯の「こころ」・・31
オタピー茶の湯は日本のグローカル文化; ハイカルチャー、ポップ、キッチュ、サブカルチャーの界を紛らかす・・31
会所の喫茶・茶の湯・・1
今日の茶の湯、茶道に、モットも強い影響を持っているのは、何と言っても、会所の喫茶だと思います。
鎌倉後半には、会所の喫茶、薬用の茶、禅院での茶礼、門前での茶屋や一服一銭の路傍・庶民への広がり・発展となる喫茶など、今日的な喫茶文化が、全て、内包されたと言えます。
新興勢力による日宋の民間・私貿易や禅宗寺院を媒介とした唐物輸入が盛んに行われていたのです。
今日の自慢趣味的な観賞、披露を込めた唐物を使った喫茶が流行して、会所・書院の喫茶が盛んに開かれていたといえます。
そうした最初の資料が残るのが、金沢文庫(横浜市・北条(金沢)実時以来の資料)であり、その代表する人物が、金沢貞顕(1255〜1333)で、当時の喫茶での唐物趣味の流行を窺うことが出来ます。
会所は、私的な詩歌管弦を楽しむためなどの遊興・幽境性を持って集まる私的な場だったのです。
既に、十三世紀の初頭の歌聖・藤原定家の『名月記』に、後鳥羽院の宇治御所の記述があり、金沢貞顕も、鎌倉の邸内には会所を持っていたようです。
つまりは、詩歌管弦・芸能の場に、喫茶が加わったとなります。
私的な空間で、詩歌管弦の間合い、談議、コミュニケーションのインターフェースに喫茶を楽しむのは、必然的な流れといえます。
誰もが容易には手に入らない蒐集・収集した自慢の逸品の唐物を披露する姿は、今日も変わらぬ、人が持つ愛すべき性なのでしょう。
連歌などが流行しており、茶の湯の専用の場ではなかった会所は、次第に、所狭しと唐物を飾りつける南北朝の喫茶の様と会所の茶の湯の勃興期を迎えることになるのです。
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