オタピー茶の湯;  日常茶飯の「こころ」・・25

 オタピー茶の湯は日本のグローカル文化; ハイカルチャー、ポップ、キッチュサブカルチャーの界を紛らかす・25

 今日の茶の湯文化に大きな影響を持っているのが、会所の喫茶と草庵での喫茶にあるのです。

 会所は、13世紀初頭に、和歌・連歌で今日の冷泉家に連なる藤原定家「明月記」に、芸能の場として出現しているのです。

 唐物貿易によって収集した茶道具のみならず、絵画・花器などの装飾品を飾りつけながら、当時、流行の連歌、香会などを含めた文芸などの寄り合いの場だったのです。

 儀礼的な寝殿造りに対して、会所は、主人の私的空間として日常を過ごし、非公式で多様な人達が集まったのです。

 鎌倉邸内に会所を築いた、今日の横浜市金沢文庫に伝わる金沢貞顕などによる資料に当時の会所での喫茶の様子が窺えるのです。

 有名なのが、「太平記」にある、楠木正成に攻められて退散する時、バサラ大名の佐々木道誉が、茶の湯道具、書画骨董などの美術品の名品を飾りつけ、ケヤーする人として、わざわざ、遁世者を残した会所にまつわる記載があるほど、広まっていたのです。

 当時の喫茶の様式は、次のようだったようです。

 南北朝までは、板張りの部屋で、椅子に座った客人に、抹茶が入った天目茶碗を配り、湯瓶と茶筅を持って、湯を注ぎながら茶筅で茶を点てて廻ったのです。

 今日の栄西由来の建仁寺に伝わる「四つ頭の茶礼」の様式に近いと推定されています。

 南北朝期から室町期には、茶点所から、別室への「点て出し」を行うようになり、客人に振舞われたのです。

 主客同座の茶の湯の喫茶様式は、村田珠光を中心とする精神性をもった草庵、わび・さびの茶の湯を待つことになります。

 喫茶の後には、酒宴が持たれるのは、今日にも伝わるものだと思います。

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