オタピー茶の湯 ;  日常茶飯の「こころ」・・24

 オタピー茶の湯は日本のグローカル文化; ハイカルチャー、ポップ、キッチュサブカルチャーの界を紛らかす・24

 1192年の鎌倉幕府始まりの前年、栄西(1191年)の帰国によって、肥前平戸に茶木の植樹がなされ、禅院と茶、健康飲料としての飲茶は、平安朝での団茶喫茶から抹茶文化の始まりとなったのです。

 つまりは、その後の我が国での喫茶文化の始まり、再出発となったのです。

 栄西は、中国・天台山での二度目の遊学によって、禅林での生活規範(禅苑清規)としての茶礼の抹茶法と健康飲料としての効用を茶木を持ち帰っての植樹をして広めたのです。

 空海最澄、永忠から嵯峨天皇空也上人への団茶の喫茶は、唐物ハイカルチャー趣味と仙境的精神性のみならず、疫病対策としての薬用の施茶・儲茶飲料以来の喫茶文化の再来となったのです。

 栄西と一緒に宋に渡った道元は、1227年、今度は、我が国の茶器製造の元祖たる加藤四郎衛門景正(藤四郎)とともに帰国して、永平寺の開祖として、茶礼・「永平寺清規」を定めたのです。

 また、大徳寺の開創・宗峰妙超(大燈国師)の師・南浦紹明崇福寺開山)は、1267年に帰国しているのです。

 三禅僧の帰国が、その後の禅と茶の歴史の始まりとなったのです。

 一方、空也上人に始まる、貴賎男女を越えた慈善事業・健康栄養成分飲料としての施茶・儲茶は、叡尊によって引き継がれたと言えます。

 叡尊は、1239年に、大和西大寺にあって、供茶や衆僧に呈茶を行って、西大寺大茶盛として今日に伝えられる始まりとなったのです。

 会所の茶、草庵の茶のはじまりも、鎌倉期にあり、平家・清盛による日宋貿易は、鎌倉期にも続いて、唐物茶道具収集と喫茶など、茶礼喫茶に対して、寺院外の喫茶も盛んとなリ始めたのです。

 会所の茶は、趣味性、嗜好性、遊興性、茶寄り合いから習俗性から政治性までを内包しながら、今日に及ぶのです。

 既に、喫茶文化は、ハイカルチャー、ポップ、キッチュサブカルチャーとして、発展を始めたと判ります。

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