オタピー茶の湯; 日常茶飯の「こころ」・・22

 グローカル文化・・オタピー茶の湯; ハイカルチャー、ポップ、キッチュサブカルチャーの界を紛らかす・・22

 村田珠光(1432〜1503)が、草庵の茶・わび茶の開祖と言われるようになっている根拠とされる数少ない文献的資料として取り上げられるのは、大和の土豪古市播磨法師に与えた『こころの文』(古市播磨法師宛珠光一紙)です。

 その文中にある、次の二点が、わび・さびの境地と言われるのです。

 1)「冷え枯れ」や「冷え痩せ」の精神性。

 2)「我意我執」を廃して、「良いものは良い」とする「和漢の界(境)を紛らかす」「こころ」。

 1)の境地、精神、思想は、岡倉天心の主張する「不完全性の美の境地」、赤瀬川原平の「負の思想」に通ずる美意識・精神・思想だと思います。

 2)は、六租慧能の『清浄なこころ』で『五欲煩悩』の『妄想』を廃した『直心是道場』の精神の大切さに通ずる、今日における自由・人権思想の必要条件たる『価値観による選択の自由』の「こころ」だと思います。

 オタピー的歴史上の人物史で言えば、以下の如くです。

 中国の南北朝時代の亀玆国の訳経僧・鳩摩羅(344〜417)の「煩悩是道場」境地からの六租慧能(638〜713)の「直心是道場」の「こころ」が、陸羽による「茶経」(760)となり、既に、茶が薬効性と仙境的な精神性を内包して発展しました。

 わが国へは、遣唐使による茶の伝来を受け(団茶法)、永忠による嵯峨天皇への献茶(815)によって、中国趣味的なハイカルチャーとして好まれまたのです。

 しかし、既に、菅原道真(845〜903)は、大宰府で、茶を喫しながら悶々とした詩を読んでいるのです。

 つまり、わが国にあっても、ハイカルチャー・唐文化としての薬効性と仙境・脱俗性の両面を持っていたのです。

 江戸時代のポルトガルの宣教師・ロドリゲスの「日本教会史」にある『市中の山居』的な歴史としては、慶滋保胤(よししげのやすたね)の「池亭記」(982)に、「こころ、山中に住するが如し」と日常の京中にあっての精神的な「脱俗性」が、茶を嗜んだかは確かではありませんが、始まっていたと言えます。

 一方で、現在の六波羅蜜寺の開基で、市聖(いちひじり)と称される空也上人(903〜972)は、疫病が蔓延していた京都の市中に踊り念仏を唱えながら貴賎を越えて病人に施茶・儲茶を行ったのです。

 栄西が茶木を進呈した栂尾の高山寺明恵上人(1173〜1232)は、神、浄土宗、禅宗を越えて、人、動植物の命と自然との共鳴(「明恵上樹上座禅図」)による「碩徳」と崇められましたが、市中の山居とは一線を隔したにもかかわらず、栂尾の茶が、「本茶」として「闘茶」と言う遊興性、権威・権力性を持った茶の人間らしい一面に発展したと言えます。

 茶が内包する習俗性は、ポップ、キッチュサブカルチャーとの界を紛らかす文化としての魅力でもあります。

 1214年に栄西が、鎌倉幕府三大将軍・源実朝に「喫茶養生記」の献進と共に、抹茶法による茶一盞に至る前に、既に、村田珠光の時代の萌芽があったと判ります。

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