オタピー茶の湯; 日常茶飯の「こころ」・・21

 グローカル文化・・オタピー茶の湯; ハイカルチャー、ポップ、キッチュサブカルチャーの界を紛らかす・・21

 私にとって、喫茶は、日常茶飯の生活にあっての、極、極、自然な生活の営みにすぎません。

 食事の前、中、後の飲み物、食間の味わいなのです。

 嗜好的水分補給、儲茶的栄養成分の補給、食の味覚を高める、コミュニケーションとしてのインターフェース、文明・文化的意味・意義などなど・・

 食事内容と組み合わせによっては、学名・カメリア・シネンシイスを原材料とした茶の飲み物でない方が良いと思うことも、あります。

 好し、焙じ茶であっても、上林の焙じ茶が良いといったような自分固有の好みが生じることになります。

 一緒に食卓を囲むメンバーによって、料理も変わり、この人なら、旬の金鰭鯛が良いと、遇えて、浜名湖に釣に行って、釣って調えることだってあってもおかしくありません。

 服装も、作務衣も良し、ニッカ・ボッカーズも、イト、ヤスシとなるのです。

 そして、姿かたち好く、尾の形まで整えて、塩焼きにして、お好みの食器に取り合わせることによって、食卓を囲まんとする気持ちが、自然な和気となることとして、喫茶も楽しめるのが良いと思うのです。

 東京に大徳寺のようにと、護国寺に茶室群を建設した高橋菷庵が、イギリスでのアフターデナーとして、紅茶を振舞われた時に、日本には、茶の湯があると気づき、以後、勤しむことになったのです。

 それが、一碗の茶であれ、玉露であれ、あるいは、紅茶、中国茶など、世界に広がる多様な原材料がカメリア・シネンシスからなる喫茶飲み物を、それぞれの手法によって喫すれば、それでよいと思うのです。

 カメリア・シネンシスを共通とした、多用なる特殊性を背景としているとの認識が不可欠となります。

 高橋菷庵が、イギリスで、紅茶の喫茶の素晴らしさに感じ入って、その後の自分流の楽しみ方を求めた、そのことに意味があると言えます。

 そうした、日常茶飯の繰り返しが続くと、次第に、単純化、複雑化、様式化への工夫と発展、美意識、洗練さが、自然に湧くようになってしまいます。

 その時、その時に、それなりの背景、理由と意味を持って、進展することになります。

 谷川徹三が、指摘しているように“今日の生活にあって、殆ど、意味を失ってしまっているような形、しぐさ”が、その歴史的意味として内包するのは、至極、当然といえます。

 言ってみれば、私には、斯く振舞いたいとの“気持ち、背景”があることになっていきます。

 しかし、特殊性にコダワルことなく、内在している普遍性に注目することが求められるのです。

 村田珠光が、書院の茶、禅林の茶、施茶・儲茶、一服一銭の茶、淋汗茶湯を知り、風雲狂の文化人・一休宗純サロンに集う、金春禅竹連歌師宗長などとの交流によって、唐物と備前信楽との界(境)を紛らかしていったに相違ありません。

 つまり、先入的・既成概念的な価値観からの脱却によって、自由な認識力・創造力を得たと言えます。

 それ故に、私は、喫茶文化を嗜好する上では、村田珠光とその時代への歴史的背景を自分流に「俯瞰的」に想定するのが楽しみなのです。

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