オタピー茶の湯; 日常茶飯の「こころ」・・9

  グローカル文化・・オタピー茶の湯; 日常茶飯のハイカルチャー、ポップ、キッチュサブカルチャーとの界の紛らかし・・9

 今日、友達が、東大・三四郎池の近くで、角帽を手に入れてくれました。

 その角帽は、東大を元祖として、旧帝大、国立大、国立大学法人と変転しても、共通するシンボルと言えます。

 受験時代は、学力、経済的にも、他府県を願うこと適わず、名古屋の叔母の家に居候をしながら、大学に通いました。

 入学時、角帽を買う余裕も無く、兄のを眺めていただけでした。

 つめ入りの学生服に、角帽をかぶる姿が、大学生のシンボルだったのです。

 ポリクリという患者診察実習でも、学生服に、白衣を着る姿でした。

 入学当時、大學で講義を受けたのは、旧制第八高等学校で、まだ、物理や化学の実習器具やガラスには、八高のマークが入っていたのです。

 寮も、少人数の講義に使われており、二階へ上がる階段や廊下を歩くとミシミシと音を発したものです。

 コンパなどでは、旧制の寮歌や校歌等を斉唱したり、逍遥して、闊歩したものです。

 ただ単なる、軽薄なエリート意識の発揚と言ってしまえば、それまでですが、未だに、私にとっては、魑魅魍魎に惑わされること無く、パトリオット的(patriotic)な使命感を持つ意識の高揚となっています。
 
 ケネディー大統領の就任演説での「Ask What You Can Do For The Government!! Ask Not What The Government Can Do For You!」との精神の育成となりました。

 パトリオット的使命感に溢れる人の育成に、勘違いの平等主義的ではなく、それぞれの個性を重んじた教育システムが、今や、求められているように思います。

 画一的ではない教育は、職業に貴賎は無いとの相互理解と認識の上に成り立ち、人それぞれの生きている使命感に目覚める起点となると思います。

 そうした視点から、全ての国立大学を国立大学法人にするのではなく、全人類的な俯瞰思想をもって、天下国家や地球レベルの発想をする大學教育も必要不可欠であり、世のため、人のために煩悩妄想を配して努める人物育成のシステムや機構が必要と考えます。

 科学者、スポーツ選手、音楽家など同様、海外のシステムで、育てられるようになっては、寂しいことになります。

 東大一期生の夏目漱石が、「私の個人主義」(岩波書店)で、嫌がっていた英国生活にあっても、一番大切な文明・文化基準は、チャンと見定めていた偉大さを感じさせます。

 三四郎池の周りを、既に、我が手にある朴歯下駄、角帽に加えて、つめ入りの学生服を手に入れて、コスプレ姿で、ストレー シィープ(stray sheep)と囁きながら逍遥したい衝動に駆られています。

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