信天翁喫茶記

心のイケメンある自活力・・迫る単身社会・無縁社会と自活力・・ゆるやかにつながる心の絆・連帯がキー・・13

    ・・不安の時代の自活力を育む・・

   「信天翁喫茶 入門 益荒男が茶の道」(アマゾン、Dr.BEAUT・ソフィーリッチなどでネット販売中)

 
 我が国の歴史上の人物で、生活弱者に優しい人たちは次のようです。

 世俗の権力や武力とは無縁な喫茶・茶の湯文化が源流とする自由な慈悲心と一味同心の理想郷志向の「無縁〈ムエン)」、「公界(クカイ)」、「楽(ラク)」社会を求めていたと判ります。


 まず、万葉時代の歌人、お役人でもあった山上憶良です。

 生活弱者の貧困者、高齢者、病人、妻子に優しい目を注ぎ、人間味あふれる歌を万葉集に残しています。

 有名なのが「貧窮問答集」と「子等を思ふ歌」です。

 「貧窮問答集」では、憶良自身は一般庶民ではなくお役人でしたので豊かな方であったはずですが、寒い日に持っている綿入れではないような半そでの衣類を集めて着重ねても寒いのに、そうした着るものもない人たちは如何しているのだろうと心配しているのです。

 「子等を思ふ歌」では、反歌「銀(シロガネ)も 金〈クロガネ)も玉も なにせむに 優れる宝 子に及かめやも」を知る人は多いと思います。


 憶良と同世代の僧・行基も民衆の生活安定のために努めました。

 民衆の教化に努め、民衆と共同しながら灌漑や水害対策となる池堤設置や橋梁架設などの今日で言う社会事業を行なったのですが、当時は民衆を動員した行動に僧尼令違反と初めは禁圧されました。

 しかし、聖武天皇による大仏造営のためには、民衆の動員力と組織的な工事遂行力を持つ行基の協力が必要となり、大仏造営の勧進に起用しなければならないほどだったのです。


 続いたのが既に紹介した平安中期の僧・空也上人で貴賎を問わない人たちに南無阿弥陀仏を念ずる口称念仏の布教をしたことで知られますが、諸国を遍歴しながら道路、橋、灌漑などの社会事業に努めたました。

 また、市聖・空也上人と言われて生活弱者に施茶、施粥を行なったのですが、皮聖と呼ばれたように鹿の角の杖を手に鹿革の衣を着けた異形姿をしていたことでも有名です。
(山中直樹著「信天翁喫茶 入門 益荒男が茶の道」)


 それにしても、現代は、公共事業と呼ばれる社会事業が社会的弱者のためというよりも、利権構造化した工事を行なうために国債や地方債を乱発した結果、庶民や子供たちに付けを廻すようになってしまった現実は何故か!? 

 先人が心したような無縁社会の生活弱者を含めたインフラ整備による自活力が高められるようにする心の絆・連帯の心が何時からか忘れられてしまっている。