オタピー茶の湯; 日常茶飯の「こころ」・・19
グローカル文化・・オタピー茶の湯; ハイカルチャー、ポップ、キッチュ、サブカルチャーとの界を紛らかす・・19
『十牛図』は、巷の如何なる環境にあろうと、人としての生きる証はあると教えています。
新井満著「自由訳 十牛図」(四季社)では、人としての生きる役割は誰にもあり、それを見つけることが、大切とあります。
既に、紹介しましたように、ノーベル物理学賞受賞者・小柴昌俊も、自分が本当に、やりたいと思うことの大切さを語っています。
西欧にあっても、『十牛図』の指摘するように、人は、如何なる瞬間、時と場所、如何なる仕事に就いていても、その人のやりたいこと、成すべき役割があり、自己の生きるべき様が求められると指摘しています。
つまり、オタピー茶の湯の日常茶飯の「こころ」なのです。
宗教的場や修行であれ、茶道であれ、お絵描きであれ、トカク、その時のみに、特殊な状況で、特殊な認識を持ち、特異な気位的虚像に埋没したような勘違い感覚に陥り、日常茶飯の場では、およそ逆行するような言動を行っている人は、少なくありません。
まるで、逆のことを強調した提言や行いをしていると思いたくもなります。
加えて、そうした人達は、“社会正義”を唱えて、自分のことは、サテオキ、人や社会の所為とばかりの言動です。
一方で、わが国の現状は、国際社会の多くの国々や人々の悲惨な状況にあって、稀に見るほどの“恵まれた”と言って良い“国”なのです。
それにもかかわらず、家族的、友達的、仕事場的、社会的な“ヨリドコロ”を見出せないでいる人達が多く、そうした人達への理解と悩みからの開放への糸口を見出すための取り組みは、不充分と言えます。
人の自主的な思考、努力を可能とするような対応が求められています。
『十牛図』は、自分の役割を自覚する過程を学ぶガイドラインと言えます。
『星の国の王子さま』のサン=テクジュべリは、1944年に亡命していた北アメリカから戻り、「人には成さねばならぬことがある」と、既に、年齢的に無理であったにもかかわらず、戦闘機に乗って、地中海へ偵察に飛び立ち、ナチスによって、撃墜されて、行方不明となり、44年間の人生を終えています。
その著『夜間飛行』では、「農夫が鋤を用いて、田畑を耕すように、僕は、飛行機を用いて、自分を耕すのだ」と記しています。
また、『人間の土地』では、僚友の郵便飛行士のギヨメが、アルプス山中で、遭難し、何日かを不眠、不休で、奇跡の生還をしたお話を取り上げています。
ギヨメが、生還の意欲に燃えたのは、自分の生命保険が、遭難場所が深い雪に覆われて、死体が発見されるまでには、数年以上を要するような山中だから、せめて、雪解け後には、スグに、発見するのが容易な場所に移動しようと思ったとのことです。
動機は、奥さんに、苦労を掛けたくなかったからなのです。
究極の命の危険がある状況でも、自分の使命感と意欲を持つことの大切さを示すものと言えます。
人それぞれが、どんな日常茶飯からも、『生きるヨリドコロ』を見出すような思考の育成が求められているのだと思います。
既成概念の習俗的判断によって、人を識別しないところから始める必要があります。
時代の変転が、激しくなっている今日にあっては、普遍性に反することでなければ、例え、自分の理解を越えたり、感性に合わなくとも、オープンな気持ちで、まず、受け入れる認識が必要条件となるのです。
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