オタピー茶の湯; 日常茶飯の「こころ」・・1

     オタピー茶の湯; 日常茶飯のハイカルチャー、ポップ、キッチュサブカルチャーとの界の紛らかし・・1

 日常茶飯の生活に在りながら、喫茶をキーワードにした生活文化として昇華したのが、茶の湯文化だと思います。

 それ故に、今日にあっても、意識するか、無意識なのかは別にして、日本の毎日の生活やその環境の中に深く入り込んでいます。

 侘び、寂びと言われる茶の湯と茶道様式としての継続がなされて、我が国の文化としての背景となっているからです。

 日本の文化的特徴を、侘び、寂び、幽玄に求め、人と人とのコミュニケーションの在り様の道義的規範として求められるように思います。

 「茶の湯」と「茶道」の意味するところを区別して受け取る人は少なくなっています。

 茶の湯が、日常茶飯の生活文化だと受け取る人は、あまり多くないのが現実となっていると思います。

 哲学者、谷川徹三が、その著「日本人のこころ」(岩波書店)で、戦後間もなく、外国人記者たちへの講演で、日本文化について、その特殊性に注目するのではなく、普遍性に注目するようにと説いているのです。

 私は、その「こころ」を大切にしながら、毎日を過ごしています。

 それ故に、私にとっては、茶の湯は、日常茶飯にあって、どのように過ごすかの「清規」(しんぎ)となっているのです。

 そして、規格化した人生から抜け出すための「俯瞰思考」の時でもあります。


 オタピー茶の湯(OTAPY CYANOYU)と呼ぶ、喫茶をキーワードとした日常茶飯の生きている様となっています。

 「こころ」は、人間が創生する文化・文明の普遍性に通じたハイカルチャー、ポップ、キッチュサブカルチャーの界を求めて、自らも、その創生に寄与したいとの意欲を「紛らかし」に込めているのです。

 (ミクシイにも出しています)

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