頤医のハッピーかい!・・7

  個人化した「新しい個人主義」・・広井良典千葉大学教授


 広井教授は、私がインフォームドコンセントをわが国ではインフォームドチョイスと言わなければ国際基準で言うインフォームドコンセントとはならないとその必要性を説いていたころからインフォームドコンセントとはを解説していた賢い人だと尊敬しているが面識はない。
 当時は厚生省から千葉大学へ出向しておられたころだと思う。


 最近、「ポスト資本主義 科学・人間・社会の未来」(岩波新書)が出版され、その直前には、改訂されて出版された「生命科学 福祉国家エコロジー生命倫理」(岩波現代文庫)がある。
 いずれも、現代社会をわが国のみならず世界レベルでの状況と今後について重要な提言をしている。
 是非とも、一読され愛蔵本とされることをお勧めする。
 我が国の国が管理する大学の文系学部が必要だと痛感させる人物の書だ。
 その広井教授が、「個人単位化」した「新しい家族主義」の時代だと提言している。
 それぞれが、「自立した個人」として「新しい家族」とはを考える必要がある。


 既に取り上げたように、国連による平和度ランキングの高い北欧やドイツなどの国としての政策は、広井教授が提言するように、迫りくる地球レベルの定常型社会の持続可能な方向は、自立的な個人による社会民主主義プラス環境主義/エコロジズムだとしている
 今や、我が国の政策をどうするかとしてのみならず、地球レベルの政治の問題だ。
 伝統的な共同体ネットワークが弱くなり、会社や家族が流動化して、一人ひとりの生活リスクは高齢者のみならず、すべての年代で高まっている


 それ故に、広井教授の言う「個人の不安定な時代」に、自立した個人をベースとした公共性とはが問題となる。
 現代は、高齢者のみならず、生まれた時から死ぬまで、つまり、「ゆりかごから魂のケア」までハピーとはを問われ続ける「不安な時代」だ。
 個人の不安定性や格差社会に対して、「相続」によって引き継がれる生まれた時かの「共通のスタートライン」に立てるかどうかのとの人間の究極の公平性たる個人の「機会の均等」の権利が不公平だ。
 家族の経済状況によった格差、男女の権利などによって、受けられる教育にも差がある。
 ノーベル平和賞に輝いたマララちゃんが力強く敢然として、感動的に主張するように、少なくとも、学び知る権利は何人にも公平でなければならない。


 しかし、個人は、生物学的に言っても同格・同質ではない生物学的固有性や多様性があり、遺伝学的に言っても個人差がある。
 真の意味の個人の機会の均等の平等や自由は保障されていないと言える。
 その前に、この宇宙にあって、人間だけが他の生物に比して特別ではないとの自覚が必要だ。
 そうした時代に、広井教授の言う「個人単位化する新家族主義」は重要な意味を持つ。
 「個人単位化」しての「新家族主義」とはが如何にあるべきかを考える必要がある。


 私は、尾田栄一郎作「ONEPIECE・ワンピース」の麦わら一味の仲間のように血縁無縁を越えた仲間集団の如くが「新家族」だと思っている。
 「ONEPIECE」のウオータセヴン編で麦わら一味のゾロが家族だと言われて否定した時に、“家族で血縁が何だ!”と多くの子供を家族としている「母親」からたしなめられるシーンがあり、尾田栄一郎が考える家族とはがよくわかる。
 生まれが何であれ、血縁や格差があろうがなかろうが、自分自身がやりたいことにいちもくさんになっている麦わら一味のように生きながら仲間と出くわすことだ!
 


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