頤医はだからズレている!・・23

 皇太子さまの55歳の誕生日に当たってのお願い!


 皇太子さまが、2月23日に55歳の誕生日を迎えるに当たり、前日の記者会見は素晴らしいと感動しました。 
 天皇家がアジア太平洋戦争敗戦以後の平和主義の引き継ぎを強く守っておられることが伝わってくる。
 昭和天皇統帥権を発揮されて毅然とされなかったことへの反省の心が有られればこそと思えてくる。


 満州にあっての戦闘の始まりが、その後の軍部独断を許し、不幸な侵略戦争・アジア太平洋戦争となり、敗戦につながったと言える。
 最近、新聞で報道されていたが、陸軍も調査して、米英に比してのパワー不足は知っていたにもかかわらずの神がかり的な暴挙なのだ。
 次の二大暴挙がその後の神がかった戦争へつながったと言える。
第一には、昭和天皇が、1931年に天皇統帥権を犯されたことになる、天皇に無断で関東軍が独断先行して朝鮮軍満州領内へ越境した出兵を行ったことに断固とした統帥権を発揮しなかったことにある。
 その後の関東軍による計画的な柳条湖での満鉄線爆破事件を引き起こして越境攻撃へとつながった

 次が、1933年の熱河攻略の作戦を統帥権を発揮して抑え込まなかったこと
 昭和天皇が、軍部による勝手な軍の移動と戦闘開始を天皇統帥権によって抑えなかったことが、その後の軍部の現状追認体質を許したことについて、天皇家には深い反省があり平成天皇、皇太子に引き継がれていると伝わってくる
 私にとっては大変うれしい。
 ドイツのメルケル首相が言うように歴史に対して真摯に向き合うことが大切だ。


 皇太子は会見で次のように言われた。
 戦後70年を迎えたことに「戦争の記憶が薄れようとしている」、「謙虚に過去を振り返る」、「戦争を知らない世代に悲惨な体験や日本がたどった歴史が正しく伝えられることが大切だ」との認識を示された。
 
 更に大切なことを言われた。
 日本国憲法を基礎として築き上げられ、平和と繁栄を享受している」、「本年が平和の尊さを心に刻み、平和への思いを新たにする機会になれば」と発言されたのだ。


 頤医の先祖には草莽の志士が二人いる
 一人目は、頤医の尊敬する山中頤庵(七郎)で緒方洪庵塾に91番目に入門し医師となっても地元に戻らず伏見にとどまって活躍した。
 残念ながら28歳で病死したが、今も、京都・長楽寺に頼山陽頼三樹三郎などの墓碑の近くに眠っている。

 もう一人は、若くして亡くなった弟である頤庵の志を引き継ごうと兄の信天翁(静逸)が素封家の地位を弟に譲り、勤皇の志士として死線を越えて修学院村に隠棲しながら活躍し、明治天皇の御東幸御用掛を努め、東北地域の知事を務めた後に、歎願して京都に戻り嵐山に別荘を築いて伏見宮北白川宮閑院宮家の家令を務めることで東京でのお勤めを許してもらった。
 嵐山の大堰川沿いに戦後まで残っていた対嵐山房跡には、今は「明治天皇行在所山中邸阯」の石碑が残る。
 故郷の碧南市藤井達吉美術館で「没後130年 山中信天翁と幕末維新展」が本年の3月8日まで開かれた。
 「信天翁」は、アホウドリの意味ではなく、天皇を敬う意味で名乗ったのだ。


 草莽の志士が志を持って命をかけた天皇家が、皇太子の志に伝わっているのは、頤医にとっては嬉しい限りの心。
 皇太子には、悲惨な戦いの場、レイテ島、ミンダナオ島インパールを訪れて、今も眠る多くの英霊の魂をねぎらっていただきたいと不遜を顧みず心から願っています。 
 昨今のロシアや中国のように再び勇ましそうで帝国的な日本にはなって欲しくない。
 今や人々は国境を越えて自由に行き交う時代だ。



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