頤醫初代ー山中頤庵の志・・1

 適適に生きた山中頤庵・・1


 山中頤庵は、幼名を松寿、名を猷(ユウ)、通称を七郎、字に以道、翼軒、号を頤庵と名のった。
 幕末の蘭方医で志士の志を持っていた。
 幕末の文政十年(1827年)6月6日生まれ、安政元年(1854年)に27歳で夭折した。
 私の家は分家として頤庵の父親同士が兄弟であるも、母親は再従姉妹の関係。
 頤庵の甥にあたる山中律(タダス)は私の祖父で20歳で医者になっており、血縁は近い関係にある。
 祖父の律は従天医館を開設して尊敬される医師として活躍した。
 従天医館は現在も引き継がれており、私が幼児にはいつも訪れて診察していただいた96歳の山中寛三医師は頤庵を大切にしておられる矍鑠たる姿は私には喜びだ。
 私にとっては、頤醫の初代は頤庵、二代目を律として、私は三代目になりたいとの切望だ
 頤庵を頤醫の初代とするのは、私の志、心の豊かさの原点として適適(緒方洪庵の適適の心については次回としたい)に生きたいとの願いだ。
 頤庵の心を引き継ぎたいのは、「ワンピース・ONEPIECE」の DrヒルルクがDrクレハ、チョッパーと引き継がれる意思があれば命は続くと人々に誤解され苦労しながらも多くの悩める人々を救わんとまい進して“全くいい人生だった!”と強い志を示す髑髏の旗をかざした生き方を理想とするからだ。



 頤庵は幼少期に長崎に遊学して蘭方を修め、大阪で緒方洪庵適塾(適適斎塾)に19歳で91番目に入門している。
 今も残る適塾の入門帳「適適斎塾 姓名録」に名前は山中頤庵として弘化三年十一月二十日に清楚、繊細、気品と尊厳ある直筆で記してある。
 京都に移り、儒学者で洋学にも理解のあった篠崎小竹にも教えを受けたと伝わる。
 蘭方医として開業して患者があふれていたとの記載があるも、将に開業せんとして安政元年1854年10月4日に27歳で胸の疾患で夭折したとの資料もある。
 お墓は京都東山の長楽寺にある。
 頼山陽頼三樹三郎の墓の近くに山中七郎墓として京の町を望める東山に眠っている。
 

 単なる医者としてのみならず、伏見に住んで志士の藤本鉄石らと活動して、京都と大阪・摂津との間を住還して活躍していた様だ。
 大坂の北浜で弘化二年(1854年)十二月開始したばかりの適塾では52番目に半年ほど先に入門した大村益次郎や前後に入門した橋本佐内のようなよく知られた人たちのみならず、志士の志を持った長瀬元蔵、竹内東白らとも喧々諤々の未来を議論をしていたと推定される。
 橋本佐内や頼三樹三郎安政の大獄頼三樹三郎ともども伝馬町牢屋敷で斬首されたことで知られる。
 信天翁の弟である頤庵は故郷の東浦(碧南市)に帰ると大坂で遊学後に郷里で家業を継いでいた山中信天翁に時代の激動激変の近いことを説いていたとある。
 それ故に、志を遂げられずに27歳で夭折した頤庵の意思を継がんと信天翁安政5年には家督を弟に譲って京都に上ったのだ。
 そして、岩倉具視らや志士らと協力して鳥羽伏見の戦いに貢献、明治天皇の御用掛を務めて江戸に下り激動の混乱時に知事などとして活躍したが自ら辞して京都嵐山に対嵐山山荘を築いて富岡鉄斎などの文人墨客と最後の文人と言われるほど文藝に勤しんだ。
 明治天皇、皇后が対嵐山山荘を訪れるほどだった。
 信天翁は文政五年(1822年)から明治十八年(1885年)まで長生きしたために活躍した政治家で文人だったために書画も現在でも骨董品として話題となる。
 弟の頤庵は夭折して京都の長楽寺に墓を望んだために兄・信天翁のように多くの遺品や資料は残されていない。
 地元碧南の縁者たちからもほとんど忘れられて、前述の如くに山中律の甥にあたる96歳で元気な医師・山中寛三のみとなっているのが残念だ。
 既存の事実をしっかりした遺品や資料・史料などで裏付けて現状での矛盾した記載を明確にしたい。


 私は信天翁より頤庵に畏敬の念を持っており、不明となっている位牌を京都の老舗仏壇屋さんにお願いし、長楽寺で入魂をお願いした。
 生誕日と命日の前後には山中七郎墓前で住職にお経をあげていただいている。
 志をもって失うものがあっても学びながら前に進んだ初代頤醫・頤庵の夭折を思い、私は心を新たにして頤庵の志を「Drヒルルクの志」としたい。



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