頤醫の勇・親・愛・智(荒魂・和魂・幸魂・寄魂)・・5

  「ケ」の豊臣秀吉!・・1

 豊臣秀吉については、出世、成金趣味の成功者の代表として取り上げられることが普通!
 しかし、私は「ケ」の秀吉の心・魂に注目しています。
 私の思考する「幽玄サビ」の心と美意識があると思います!

 傘亭と時雨亭は私が最も好きな庵!
 秀吉の「ケ」の心の象徴だと思っている!

 最近、高台寺を訪れた時、二つの幸運に恵まれた!
 時雨亭を寄り付きとして傘亭で一椀の茶を飲んだ!
 ねね(北政所高台院湖月心尼)が過ごした園徳院では秀吉の言葉が書かれていた。
 印象に残った秀吉の「ハレ」の言葉を私流に解釈すると次のようだ!
 ・まず先駆けて自分の考え、意見を言え!そうしなければ自分の考え、意見ではない!
 ・如何なる時も先駆けよ!
 常に先駆けて創意工夫を生きがいと判る!

 傘亭・時雨亭からは秀吉の「ハレ」と「ケ」の心が伝わってくる!
 亭で茶を飲んで、私は確信した!
 秀吉の心の故郷とねねとの二人だけので楽しんだ逢瀬がしみじみと浮かんでくる!
 ねねと「心のままに興ずる黄金の時を過ごす」ための秀吉の「ケ」の世界がある!

 傘亭・時雨亭は秀吉の「先駆けて自分の考え、意見を言う!」実践だ!
 利休が立ち入ることが出来る世界をはるかに越えている!


 ねねが秀吉の死後に高台寺を建てる時、秀吉と最後を過ごした木幡山伏見城にあった傘亭と時雨亭を移築することを願ったと伝わる!
 傘亭と時雨亭で茶を飲んでいると私が外から亭を観ていた時の思いが確かだと感じた!
 秀吉とねねとの若き頃の「ケ」の生活を楽しんだ思いもこもっている!

 木幡山伏見城は1596年(慶長)から築城を開始して1597年に完成した!
 その一年後には秀吉は城内で昇天している!

 伏見城の秀吉時代の歴史を概観しよう!
 最初の指月伏見城は1592年(文禄3月)の朝鮮出兵開始後の8月に隠居後の住まいにするために建設を始めたのだ!
 利休が自刃したのは1591年(天正19年2月28日)だから指月伏見城の築城開始は利休亡き後だ!
 つまりは、木幡山伏見城は1596年だから更に利休以後だと言うことになる!
 それ故に、傘亭・時雨亭は秀吉が「まず先駆けて自分の考え、意見を言え!そうしなければ自分の意見ではない!」心の実践だ!
 1593年には完成して移住を始めた!
 しかし、1596年(慶長7月13日)には慶長伏見地震で城は倒壊して多くの死者を出したが秀吉は幸運にも逃れて木幡山に仮住まい!
 秀吉は翌日の7月14日には木幡山に伏見城債権を開始した!
 その10月10日には本丸を完成している!
 翌年の1597年(慶長2年1月)には2度目の朝鮮出兵を行った!
 一方で、5月4日には天守閣を完成!

 1598年(慶長3年8月18日)に木幡山伏見城で昇天していることから1年間ほど、傘亭、時雨亭では秀吉とねねは二人だけの若き志に燃えた時のように心おきなく赤裸々な逢瀬を楽しんだ1年間の思いが思いが伝わってくる!
 ねねが高台寺を築くに当たり秀吉との「ケ」の心がこもる傘亭と時雨亭を移築しようとしたした心!
 
 
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